考 察
昔は、紙漉きを自家で行う家が珍しくなかったが、石黒地区では特に寄合集落では盛んに行われ、多くの家の玄関の入口付近に紙漉き場があった聞いている。→矢沢繁徳家の間取り参照
本文書は、和紙の原料の楮を売り渡した代金と運搬のための駄賃を記述したものであろうと思われる。売り手は記載されているが買い手の記載はない。昔から、和紙作りが盛んに行われた門出集落に向けて出荷されていたものではないかとも思われる。売り手には石黒に隣接した嶺村字角間からの出荷も見られる。遠路であり駄賃もそれなりに高くついた事が分かる。
ちなみに、年号が不明で正確にはわからないが仮に江戸時代後期とすると、本文書の楮代金総額、一両二分は1.5両であるから、少なくとも7~8万円とみてよいのではないかと思わる。
また、矢沢繁徳家文書の大正9年国勢調査関係書類を見ると矢沢三五郎の副業欄に和紙製造販売業ある。妻の欄には和紙製造販売業手伝と記載されている。同様の記載が他に二軒ほどある。勿論副業ではあるが、寄合集落では和紙を製造販売していた家が数軒あったことが分かった。
このことから、「楮覚」の楮の出荷先は、あるいは門出集落とは限らないが、駄賃の記載から門出の可能性が高いと思われる。
文責 大橋寿一郎 |
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