ハイ、ノミ、シラミ
                         田辺雄司
 私たちが子どもの頃(昭和のはじめ)は、どこの家でも寝室に藁くずを敷きつめその上にゴザやムシロを敷いて寝ていました。また、藁くずを布袋に入れて敷いて使う家もありました。
 その他、座敷に縁張りをしないで土間に直接、藁や藁くずを入れてムシロを敷いてある家もありました。もくもくして歩きにくいのですが、とても温かいものでした。しかし、このくず布団はノミの発生源にもなりました。
 春から秋にかけて昼寝の習慣がありましたが、寝る前や寝起きにフトンや衣服のノミとりをしたものでした。ノミに喰われると痒くてなかなか眠れないからです。しかし、ノミは驚異的なジャンプ力があり捕まえることは容易なことではありませんでした。大きなノミを捕まえて爪でつぶすと白い卵が沢山出てくることもありました。

 シラミにはアタマジラミとコロモジラミがありますが、当時はコロモジラミはいませんでした。(コロモジラミは敗戦後に石黒でも発生した)アタマジラミラミは主に女の子の髪にたかりました。中には髪の毛にシラミの卵が白く見えるほどの子もいました。身体検査の時に校医に「バリカンで髪の毛を刈ってもらえ」などと言われて泣く女の子もいたほどでした。

 ハエは、今からは想像も出来ないほど沢山いたものでした。どこの家でも家畜が飼われていたことも発生原因の一つだったと思います。食後にご飯鍋やお汁鍋をそのままにして置くとフタが黒く見えるほど集まっているのでした。
 ハエとり紙を家の中に下げるとその日の内に真っ黒になるくらいだから大した効果はありませんでした。そんなわけで、当時は慣れてしまったのかハエをあまり気にしませんでした。ご飯の上にとまっても手で追って平気で食べたものでした。

 しかし、ノミもシラミもハエも敗戦後にアメリカからDDTが入ってくると激減しました。DDTの効果には驚くべきものがありました。当時は人畜無害ということでしたが、今ではその毒性が解明され使用禁止になっています。しかし、当時DDTが果たした役割は大変大きかったと思います。

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