法政大学学術紀行研究会高柳町調査報告(1975−昭和50年)

            高柳町石黒の民間伝承
寄合地区
1.村の歴史伝承と組織
 昔、新田義貞の一族が上寄合に来て、上寄合の「上屋敷」という所に住み、「下屋敷」という所に弟が住んだという言い伝えがあるのでそれが上寄合、下寄合」の始まりではないだろうかと伝えられている。なお、「上屋敷」「下屋敷」とは地名のことで、現在は田んぼになっている。


 次に現在の当地区の組をみると、5班に分かれている。1〜3班が下寄合で4〜5班が上寄合である。組としての特別なつきあいはなくて、回覧板を回す程度の伝達機関である。

2.諸集団
@青年団
 以前は、上、下にそれぞれ分かれていて組織されていたが、現在では人数が少ないので上、下合同で活動している。学校を卒業するとすぐ入団し、25〜30才位まで行っている。

A若衆宿
50年位前まで冬に宿をかりて、若衆が集まって話をした。(下寄合)

B角切(かくせつ)
 嫁が11月ないし12月に3日間、家族の少ない一軒宿として、そこに米や魚を持ち寄って話し合ったり、昼寝をしたりしていた。そして、夜遅く帰り、次の日の朝、朝食の支度をしてから、また宿に集まった。また、老、嫁、娘
に分かれて日を違えて行った。(上寄合・下寄合)

C常会
 年5回、上・下寄合の区長、理事として上寄合として4人、下寄合6人、それに各組の組長が集まって開いた。理事は、戦前の重立ちの人たちである。

D老人クラブ
 最近できたもので、講演会を開いたり、年1回集まって話をしたりする。また、老人クラブとは別に老人仲間が集まって京参りをしたり、仲間内で誰かが亡くなったら力をかしたりする。(上寄合)

Eその他
 彼岸の中日をはさんで、1週間、宿にお婆さんたちが集まり念仏や食事をする。(下寄合)


3.労働慣行
@共同労働
○道普請 
 春・お盆・秋の年3回行う。10年前から各戸1人ずつ出るが以前は60才までの結婚している人は全員でた。
※出不足金なし(上寄合) 出不足金3,200円(上寄合)

○労働交換
 イイッコする→田植えの時、気のあったもの同士(主に本家、分家、親戚の間)で手伝いあうこと。現在は6軒の間で行われているだけである。(上寄合)田植えの時に行う(下寄合)

3.信仰伝承
@ 村で祀る神
上寄合
松尾神社。お祭りは4月15日で神社にお参りに行った後、神明様と呼ばれている祠にお参りに行く。

下寄合
 神明社(三重県伊勢市にある皇大神宮の系譜だと伝えられている)。お祭りは4月15日、7月15日。昔は9月15日も行われていたが、稲刈りの時期で忙しいので中止となった。祭りには、神前に御神酒、スルメ、野菜、オセン米などを供える。

三夜講
 二十三夜講のことで、禅宗の家の女達が集まり,掛け軸をかけご馳走を食べた。毎月23日に行っていたが現在では3人しかいないので冬の暇なときに行う。(上寄合)

庚申講
 禅宗5軒の間で行われている。61日ごとに開き、そのとき、御神酒をあげ花をかざり神様にお参りをする。そして夜の12時頃まで起きている。講の日に10円ずつ積み立てて80年に一度軸を買え変える。(上寄合)
 オカネサマと呼ばれ、禅宗の人たちの間で60日に1回、2回に分かれて行われる。また、宿は回り番で行う。(下寄合)

念仏講
 春の彼岸に一週間位禅宗の人達の間で行う。そのとき、宿は一日毎に変わる。(下寄合)

報恩校
 門徒の人達が、昔は毎月27日に集まり、お坊さんの説教を聞いた。27日に行われるので二十七講とも呼ばれた。(神寄合)

山の神講
 昔、3月9日に米の粉で作った団子を各家が庭に供えた。この日は山に入ることを禁じている。おな、山の神は正月と田植え前に田の神になると伝えられた。(上寄合)


3.その他
上寄合地区
 村人になるには、非血縁でも有力な家に本家になってくれるように頼む。そして本家から株を譲ってもらうかすることにより、正式に村人として認められた。
 また、昔、生産規模も少なく一軒の家の息子を分家に出すことが無理の時には、分家に出ようとする者が本家になってくれるような家と親子関係を結んでくれるように頼んだ。そして、非血縁的分家関係をつくった。
 当地区に葬式があった場合は、村全戸が薪3本ずつを死者の出た家に持っていく。そして、本分家を含む親類が家の中の手伝いをし、その他の人が火葬場に薪を運び藁を敷いて野づくりを整える。
 そして死者を火葬場に送るのを「野送り」と呼び死者の棺は、その家のものは担がない。また、これから火葬を始めるときに、ホラ貝を吹いて、村中に伝えた。

下寄合地区
 昔、貧乏な家の次三男が裕福な本家の奉公人(小作)となり、まじめにつとめればその家の分家にしてもらえた。これを奉公人分家という。
 当地区の総株数は30株と決まっていた。そして各本家ごとに数個持っている。もしあるマキで、転出者が出て、他のマキで分家したいとき、転出したマキの本家と話しあってその株を買い、その本家の姓をもらって分家した。しかし姓は変わってもマキは変わらない。たとえば矢沢マキの伍作という人が分家するとき、たまたま小林マキで転出者が出たのでその株を買って小林姓を名乗った。しかし、矢沢マキに入っていても菩提寺は同じである。
 なお、若干の親分子分関係が当地区にみらた。それはトリアゲ親である。生まれそうになって近所のおばあちゃんに頼んで来てもらい取り上げてもらう。その後、子どもは正月などにご馳走を持ってその人の所へお礼にいく。

法政大学学術紀行研究会高柳町調査報告(1975−昭和50年