C道普請
各家から1人ずつでて、中後、寄合、地蔵峠に通じる道を整備する。年3度行う。6月と秋の刈り入れの後には道の整備、盆には草刈りを行う。なお、この作業に出られない家は届けでなければならない。

D除雪
橋、公民館などの公共施設は村で手分けをして除雪を行う。これに出られない場合も届けでなければならない。また、道路はそれぞれが割立てられた部分を各家で責任をもって除雪する。

E結(イイ)
田植えなどの農作業で労働を互いに交換する。主に親戚同士で行うことが多い。

F焚物山
村の共有地として「焚物山」がある。一軒ずつに分け与えられていてここから薪などを採取する。


○本家分家関係
@本家
板畑で生活するためには、本家が必要とされた。本家が居なくなったり、新しく板畑に移ってきた家は、有力な家に頼んで本家となってもらった。本家は分家の生活を援助したり薪や木材など分け与えることがあった。また、婚姻においても分家の仲人を務め、葬式ではその指揮をとるのも本家である。一方、分家は本家の葬式や結婚式や田植えなども手伝った。

A姓
板畑の姓はすべて中村姓である。この一帯の中村姓はほとんど板畑の分家で、その総本家は「オヤケ」と呼ばれる家である。

B中村家総本家
屋号「オヤケ」。中村氏の総本家と言われ、板畑最大の地主であった。昔は板畑に来る役人などの接待はすべてこの家で行った。
この家は絶大の力を持っていたという。
刈羽郡旧蹟志(山田八十八著)に中村氏に関する記述があるのでここで牽いておく。
「中村氏 板畑中村治兵衛の旧家たることは遍く世人の称する所なれとも其成系を知るものなし今同氏の家譜を閲するに其祖は新田義房−義貞の高祖父に出るか如く然れとも載する所亦明瞭ならす今次古刀作者年代多くは室町幕府の末にあれは恐らくは其祖は新田義貞に後るること七八代若しくは十代の後ならん・・・云々」

     
                                

法政大学学術紀行研究会高柳町調査報告(1975−昭和50年