2 資料 ○村組織 @組 昔は「重立」を組親として10個の組が作られていた。この組は血縁の家同士、本家分家の家どうしが組子になる場合が多く、組内で村仕事などに協力し合った。現在は地理的に接近しあった家どうしで組をつくり、組親に代わって理事を互選し、組の運営にあたっている。 A 重立 「だんな衆」などと呼ばれ、戦前は村の祭りなどの行事をすべて彼らが決定していた。当時は区長もこの中で互選された。現在でも彼らは村の中では比較的重く見られているが、特別な権利はない。 資料→重立についての考察 B常会 全戸の家長が集まり村の諸事を決定する。 C最寄 村の中を地理的に三分してそれぞれを「ミヤシキムキ」「アライムキ」「マツノソト(マツノソデ)」と呼ぶ。最寄り毎にカヤ場を共有・管理し、生活面でも協力する。また最寄り単位で葬式組として機能する。 D青年団 戦前は青年会と呼ばれ、15才から25才までの村の青年はすべて加入した。神社の祭礼や村での奉仕活動などは昔は活発であったが現在では青年の数が少なく、活動もできない。 法政大学学術紀行研究会高柳町調査報告(1975−昭和50年 |