重立についての考察

 重立はその文字が示すとおり、村の重立った家を意味する名称と言えよう。以前は彼ら重立で「重立会」を組織し、村の諸行事の決定や、区長の選出など、村の運営に関する支配的な役割を果たしていた。
 このように大きな発言力をもつ重立は、重立であること自体に他の家々と代々区別されてきたようである。庚申講において、重立が他の家とは別の組を形成したことなどもその現れである。その他にも彼らは諸行事・冠婚葬祭などで特別な役割を担っていた。
 しかし、この重立が他の家々と区別される存在であるのには、それなりの根拠がある。まず、系譜(本家分家関係)に注目すれば、重立は比較的に系譜の上位にある古くから続いた家が多いことが分かる。これは家の歴史・系譜がその家の格付けに力を持つものと解せよう。
 しかし、それだけで重立が規定されるものとは思われない。そこで、戦前の地主小作関係を調べると、ここにはっきりと重立と他の家々との相異が現れてくる。重立はほとんどが、大小の地主、あるいは自作農の階層であり、他の家々と地主小作関係にあったことがこれで分かる。農家においての地主小作の関係は、その生産基盤である農耕地の問題でもあり家の経済的存立にかかわる。ゆえに小作は地主への従属を促し、地主はその発言力を増す。
 重立が有力な家とされるのもこうした基礎の上に成立していることによる。これがまた組織としての組の指導への力の源泉とも言える。

資料→板畑の地主小作関係と本家分家関係

 法政大学1975 高柳町(板畑)
 調査研究報告から抜粋