HPへのコメントに限らず皆様同士のコメントもどうぞ! −2009.12 |
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ゴールデンウィークも終わりましたが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。 去る4〜5日、私たち石黒校2〇会(昭和20年入学)はを高柳町じょんのび村で喜寿の同級会を行いました。 中学校卒業後5年目に行った第一回以来、地元と関東で10回ほど行ってきた会も、今回が一応、締めくくりの会として計画しました。 入学は太平洋戦争終戦のとので、2年生のころまでは疎開者もあり50人を越えましたが、その後は49人の学級で中学校を卒業しました。 現在のところ8人の友が亡くなり、41人となりましたが、今回は8人の出席者にとどまり少し淋しい会となりましたが、地元柏崎市から3人関東方面から4人上越市から1人という顔ぶれでした。 石黒の昔の暮らし」HP管理人様 今年の「雪祭り」は、雪が激しく降る中で行われており、皆さんは大変であったのではと思いましたが太鼓、よさこい、餅つき等雪をものとせず元気に活動されておられました。雪国の人は強いと感じ入りました。 (中村忠雄さん 受信 2012.4.27 兵庫県明石市在住)
あけましておめでとうございます。いつもHPをご覧いただきありがうございます。 編集会にとって皆様のコメントが何よりの活力となります。微力ながら今年も内容の充実に尽力していくつもりでありますので御指導御協力をお願い申し上げます。 2011.1.1 AM6:20 編集会 大橋寿一郎 〒945−0041柏崎市松美1−12−43 рO257−23−1667 E-mail yokotesimo@yahoo.co.jp からむし街道市もようやく終わりました。晴天に恵まれて何よりでした。私も、大した協力も出来ませんでしたが少しでもお役に立ちたいと売店コーナーに四品ほど出品しました。 街道市当日までは、晴れの天気がなくイチョウなど乾かないで難渋しました。 また、クルミは2sほどの剥きグルミを作るために30sほどの果実を温めて二つに割り中味を取り出す仕事は根気仕事でした。一週間ほどかかってようやく終わった次第です。日中は他の仕事もあり主に夜やりました。 カラムシというと、子どもの頃その時期になると毎日のようにオ(カラムシ)刈りをさせられたことを思い出します。学校から帰ると祖母に怒られながら裏山の急斜面で刈り取り、葉を取り去り、かわをむく手伝いをさせられたことを思い出します。 しかし、こうして今、カラムシが見直されて来て市内の織物に興味を持つ人達との交流が出来ますことはとても嬉しいことで祖父母に感謝しております。 これからも少しでも皆様の役に立てばと思っております。 (居谷 田辺雄司さん 2010.11.12受信) カラムシ街道市は好天に恵まれて、随分大勢の方が参加されてにぎわったようで ほんとうによかったですね。関係者の方々のご苦労も大変だったでしょうが 皆さんの取り組む熱意や、元気や活気が伝わってきます。何回も繰り返して観ました。 古民家巡りでは素敵に飾られていましたねぇ・・・・。あのように飾り付けるのは 大変だったでしょう・・・・よーく、何回も観ていると色んな物が飾られていて、 福島の地より石黒巡りを楽しませてもらいました。 (福島 大橋洋子さん 2010.11.11受信) 前略 毎日、HP石黒の昔の暮らしを楽しみに拝見しています。 先日、じょんのび村にて、クラス会を開いて頂き懐かしい友との話尽きない楽しいひとときをすごしました。 翌日は、嶺坂と上石黒の村の散歩を楽しみました。上石黒の村では、たわわに実った梨を持ち主の家のご厚意をえて、みんなで子どもに返って棒でたたき落として食べました。とても懐かしい味でした。 その後、克雪センター前にシートを敷いて昼食をとりました。おにぎり、エゴ、漬け物、煮物、豚汁、どれもとっても美味しく、また青空の下での食事は本当に楽しかったです。幹事の方には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。この場を借りてお礼申し上げます。 日増しに寒くなりますが皆さん、どうぞお体を大切にお過ごしください。 (名古屋市在住 矢澤しさいさん 2010.11.1受信)
10月も余すところ一週間となり、石黒の山もうっすらと色づいて来たように思われます。ここ2.3日は寒さも厳しくなってきました。今年は大雪にならなければよいがなぁと思っています。先日、テレビの「きらっと新潟」で柏崎の方でカマキリの巣の高さを観察したところ2.5mの木の枝に見られたとのことで写真が放映されました。 私も先日、庭先の土の上にいたカマキリを何年ぶりかで実際手にとってみました。遠い子どもの頃が思い出されました。カマキリは花壇のダリアの葉の上にそっとのせてやりました。そのカマキリは腹が大きかったのでこれから巣を作るのでしょう。出来事なら、どうか低いところに巣を作ってくれよと祈るような気持ちではなしてやりました。 このところ毎晩のように、来月の7日に行われるカラムシ街道市に出品するクルミの中身を取り出す仕事をしています。子どもの頃にも、こうして畳針でクルミの中身を取り出したことを思い出しながら夜遅くまでやっています。 明日あたりから急激に気温が下がるとの天気予報でありますが、お互いに健康に留意しましょう。 (石黒−居谷 田辺雄司さん 2010.10.25受信) いつも懐かしい新鮮な情報をありがとうございます。 HP石黒村の昔の暮らし編集会 様 石黒村盆踊り大会の動画を観せてもらいました。体育館に地区の人達が 集い踊りの輪が出来、多分遠くから親子連れで帰省されて参加しているで あろう人達も踊りの輪に加わって楽しい一時の様子が覗えました。 既に亡くなった父(明治39年生まれ)がもし生きていればその場に連れて行け ばどんなに喜んだだろうと(実現は不可能ですが)動画を観て思いました。 盆歌はHPにある「しょんがいや」ですね。昔からお盆に歌い継がれてきたもので しょう。私には板畑のDNAがあるのでしょうか、この歌は懐かしく感じます。 動画を有難うございました。 私の住んでいる兵庫県明石市は、猛暑が続いておりこの一月余り全く雨がな く、夏日です。一昨日NHK TVが柏崎市での早場米の品評会を報じていま した。今年は一等米が少なく二等米が多いとのことでした。石黒地区の出来 栄えが気掛かりです。 HP維持は大変なご苦労ですがよろしくお願いします。 有難うございました。 (兵庫 中村忠雄さん 2010.8.26受信 コメントありがとうございました。 本当に暑い日が続きますね。テレビ放送で県内各地の大雨注意報が毎日のように報じられていますが柏崎市街地や高柳町はほとんど降らず、昨夕の雨も舗装道路がやっと濡れた程度で上がってしまいました。 この度、頂戴しましたメールにて、今は亡き御父上に石黒の盆踊りを見せてやりたいとの貴方様の尊いお気持ちに接し感動しております。 どうぞ、暑さに負けずお元気にてお過ごしください。 新潟の中村幸夫です。 終戦記念日、原爆記念日、お盆の月も下旬に入りました。 猛暑・炎暑とか云っているうちに月日は流れ、朝晩は凌ぎ易くなりました。 このほど、文芸春秋写真部編の 「あのときの一枚」の写真の中に、昭和61年4月、天皇在位60年記念式典で天皇のほほに光る物が写っています。 25年ほど前のことですが、私はすっかり忘れていました。 そして、木村参議員議長の祝辞に感動しました。 天皇は、この開戦、終戦(敗戦)の責任をどのように 受止められていたのか知る由もありません。 みなさん方は、どのように受止められるか分りませんが、スキャナーで取り込んで送信させていただきます。クリック→画像 コメントありがとうございました。 毎日、暑い日が続きます。奥様ともどもお元気の様子何よりです。 こちらも、何とかHP制作の仕事はやっています。 半年ほど前に半藤一利著「昭和史」上下を読みました。とても読みやすく 故郷の昭和時代の暮らしをHPにしている自分に大変役立ちました。 ここにも昭和天皇の苦悩が書かれていました。 今日も世界のどこかで戦争や紛争やテロにより尊い生命が失われています。 インターネットが世界中をおおっている現代、何とかこのネットを生かして民族や 宗教を超えて理解し合う道は無いものでしょうか。 まだまだ猛暑は居座るようですが、お二人ともどうぞお元気にてお過ごしください。 (新潟市 中村幸夫さん 2010.8.20受信) 石黒通信・・・農事組合法人・石黒の立ち上げは素晴らしいことですね。すでに活動が始まっているようですが、石黒に在住の人も、また、県外に離れた人にとっても故郷石黒の存続は心からの願いです。 大先輩である大橋様に感想を述べるのも憚られると思い、コメントは今までできなかったのですが、被写体に愛情のある良い写真ばかりだと思います。 私は考えて造り込まれる写真よりも、愛情が乗っている写真やハッとして撮られた写真の方が好きです。いい写真というより、自分もそこにいて、いっしょに見ているような錯覚をおこすような写真の方が惹かれます。今後もときどき訪問して少しづつ見させていただきますね。 (北海道 橘さん 2010.6.27受信) この度は、私の写真について、温かいまなざしで見てくださった想を頂戴して只々、うれしく思っております。 この歳になりますと故郷の人のみならず山河、動植物も私にとって「汝」であり、常に何かを語りかけられ、こちらも語りかけております。 写真撮影については、今後少し勉強して、あなた様の言葉のように「自分もそこにいて一緒にみているような写真」を撮れるようになりたいと思います。 今後も、お暇なときにHPをご覧いただきご指導をくださいますようお願い申し上げます。 石黒集落のスライドショウは、居ながらにして春のふる里巡りをさせてもらい嬉しいかぎりです。今年の豪雪風景がまだ目の奥に残っているせいか、残雪と新緑木々の花たちと道端や土手の草までがすべて新鮮に見え、写真もきれいで、何度も繰り返して観ては雪国の春を満喫しています。 ちょっと残念なのは、今まで石黒HPを開けば聞こえてきた春の音(小鳥の囀りやカエルの合唱)など他一部の音声を、パソコンが壊れたので買い換えたことで今のところ聞けない状態です。今の時節、石黒も新緑と共に生き物達も春たけなわだろうか・・・と思いながらPCとニラメッコ中です(笑)
(福島 大橋洋子さん 2010.5.11受信)
貴重な写真ありがとうござました。正に地球も生きていることが実感として伝わってくるような写真ですね。有り難うございました。 ※解説文は上方のバーにある翻訳機能をつかって日本語にご変換ください。
フキノトウの素晴らしい絵手紙いただました−編集会。 ( 茨城 東 結子さん 2010.3.21受信) 最新の「近況だより」の「春の到来」と冠した綺麗な写真を拝見、 しかし蕗の薹しか解からなかつたのが(木の芽はマンサク?)いささか ショックではありました。蕗の薹と時季を同じくして、あのやうな可憐な花が咲くとは! 当時は当り前のことのやうに思ひ、無関心でゐた のでせうか。 蕗の薹と言へば、過日の句会で一字詠み込みの席題に「四」の 字が出て、<四の五のと言ふて食はざる蕗の薹>を得ました。 石黒といふ山菜の宝庫の里に育ちながら、茗荷を除いて香草の 類がまつたく駄目で、食する人をいつも羨ましく思つてゐる心の吐露 でした。 ( 東京 小野島 淳さん 2010.3.18受信) ようやく春の足音が聞こえてきました。今も運動に1時間ほど毎日雪掘りをしております。積雪もだんだん少なくなり150pほどでしょうか。山の斜面も春の雪崩が起きて黒い土が見えるようになりました。玄関の鉢植えのジザクラ〔スハマソウ〕もつぼみがふくらんできました。4、5日で開花すると楽しみにしていましたが、この2、3日真冬に還ったように雪も降り、開花も足踏みをしているようです。 彼岸も近くなり本格的な春が訪れることと喜んでいます (石黒−居谷 田辺雄司さん 2010.3.12受信)
新潟市内は、わずか80cmの積雪で都市機能が麻痺して、大騒ぎをしたこの冬も陽春に向けてまっしぐらに突き進んでいる感じのこのごろです。
いつも、タイムリーに貴重な情報の発信をありがとうございます。 石黒の昔の暮し→石黒通信から石黒地区雪まつり・高柳雪まつりYOU・悠・遊をじっくりと観賞させてもらいました。 御先祖さまが築かれた伝統を守り抜き、故郷を思う大勢の皆さんの思いがきっと天に通じたのでしょう。 好天に恵まれ、豪雪と過疎化や高齢化の波を見事に克服されたジャンボな餅つきやさいの神、他の地域から参加のアトラクション の熱気で2bを超える真っ白な雪が溶けそうに見えます。 このようなエネルギーはどこに潜んでいるのか?。 間もなく傘寿を迎える私には不可思議です。 皆さんから元気と若さをいただきました。 企画、立案、参加、実行、後始末、反省検討など大勢の 皆さんの献身的な御尽力に敬意と感謝をしています。 (新潟市 中村幸夫さん 2010.2.27受信) コメント有り難うございました。 いつもHP石黒の昔の暮らしをご覧いただき感謝しております。 何卒今後もご覧くださって御指導よろしくお願い申し上げます。 雪祭り拝見しました。好天に恵まれて素晴らしい雪祭りでしたね。 ビデオ映像も素敵でした、画像も全然苦にならず普通に見れます。 大雪の後の盛大なお祭りに、高柳の皆さまも大いに楽しみながら豪雪のご苦労も癒されたのではないでしょうか・・ 2月も20日を過ぎれば冬も峠は越えたでしょうからこれからは 良い季節に向かいますね。 (福島 大橋洋子さん 2010.2.24受信) 石黒通信HPご担当様 この冬は新潟方面は豪雪であるとTV NEWSが報じていました。 私が住む兵庫県明石市は、いつもの冬で、2回程10分位小雪が舞いましたが雪景色は見ることがありませんでした。 石黒通信HPに、「2010.01.31.冬晴れの石黒を訪ねて」があり注意深く見せてもらいました。昨年6月に車を運転した道であり思い出しながらみました。道路脇が高い雪壁状況なっており驚きました。 板畑の青い屋根の中村とくのさんのお宅を懐かしく思いました。 「2010.02.14.石黒地区雪祭り」も見ました。大雪をお祭りとして地区の皆さんがドンド焼き、餅つき会で楽しい一日を過ごしておれれる様子は、素晴らしいことだと思います。春がくれば白一色の景色がHPにあるように目を見張る緑の自然が現れます。 春の便りを楽しみにしています。よろしくお願いします。 ありがとうございました。 (兵庫 中村忠雄さん 2010.2.18受信 コメントありがとうございました。 石黒の冬もようやく峠を越え、山のマンサクもそろそろ花を開く頃かと思います。石黒の春景色を映像でお送りできる日も近いことと思います。 当方も雪消えを待って植物の撮影に取りかかるため現在は「石黒の野草」の見直しと追加写真のリストアップに専念しています。専門知識がないため時間がかかります。一種〔1頁〕に半日かかることもありまが今、ようやく掲載の野草400種の三分の一を終えたところです。今朝も3時半からやっていますが、なかなかはかどりません。 どうぞこれからもHP「石黒の昔の暮らし」をご覧いただき、御指導とご協力をよろしくお願いする次第です。 気候の変わり目、どうぞお体に留意されお元気にてお過ごしください。 追伸 来る21日(日)は高柳の雪祭り−YOU・悠・遊 が貴兄の故郷岡野町で行われます。フォトニュースで映像をお届けする予定です。 編集会 大橋寿一郎 石黒の雪も、その後、寒気が去り比較的気温の高い日が続き大分消えましたが、昨夜から再び降雪となり積雪は横ばい状態です。 さて、先般、中村様より、是非、晴天の石黒の冬景色の写真をとの御希望を頂きました。幸い1月の31日が晴天でしたので編集会の政栄さんが撮影してきましたのでユーチューブにアップロードしましたのでご覧ください。 石黒出身の方々もご覧頂ければ幸いです。 晴天の石黒の村風景←クリックしてください→※ユーチューブ画面下の右から2番目のボタン〔→印が四方に広がった〕をクリックして拡大画面でご覧ください。元に戻す時にはキーボードEscをクリックしてください。 編集会では皆様のコメントが何よりの励ましと応援と思っております。皆様のコメントをお待ちしています。 HP石黒の暮らし編集会 <yokotesimo@yahoo.co.jp>2010.2.11発信 連日降雪の1月も昨日で終わりました。 元旦から降り出した雪は休む間もなく降り続け毎日雪掘りでした。特に、13日〜15日までの3日間で2mもの降雪の時にはほんとうにどうなることかと空を見上げるばかりでした。 1晩に1m以上積もった日の朝は除雪車もいつもよりも大分遅く来ました。最初にロータリー車が雪を飛ばしお昼頃にブルトーザが時間をかけてやってきましたが重機でさえも中々進めないような有様でした。このような豪雪は昭和38年の豪雪以来だと思います。 今では、スノウダンプのような便利な除雪道具もありますが、それを使う自分のほうは80を過ぎて衰え1日何時間も作業出来ない有様です。毎日雪掘りが続くと、よくよくくたびれて夕食など食べないでコタツで寝こんでしまい9時頃起きて夕飯を食べたこともありました。 幸い、最近はまとまった降雪もなく、大寒の最中雨が降る日もあるほどで積雪も2m余りになりました。 明日は節分、明後日は立春ですので、なんとかこのまま春に向かってほしいものです。 (石黒−居谷 田辺雄司さん 2010.2.2受信) 昨日(1月10日)の「ブナ林の里 石黒通信」の近況たより、フォトニュースを拝見しました。 大橋政栄さんが撮影された各集落の積雪状況をいろいろな思いで見せていただきました。 道路はしっかりと除雪され、道路の両脇に雪の壁が出来ていていることや、茅葺の家が 少ないこともあって昔の景色とは趣が違いますが、軒下の雪の山の状況、各家の木立や 山の木々の積雪具合は昔と一緒です。懐かしく拝見しております。 現在の積雪量は1.3mとのことですが、HPに記載されている石黒の平均積雪量の2.81mには到っていませんので本格的な降雪はこれからでしょうか。 集落の皆様には暫くは雪掘り作業が続くと予想されますが、お怪我や事故のないように お気を付けていただきたいものです。 小生が故郷(現、上越市吉川区)を離れる頃は未だ道路の除雪のシステムは無く今頃はHPの写真と同じく一面の雪で夏場と同じ道路を見ることも歩くこともできませんでした。 地上から1mも2mもの高い所に道付けされた雪道を歩いていたわけですが、通学時などは新雪がある度に、すれ違う時も、追い越される時も道を譲り合ったことを記憶しております。 今日のNHK「ふるさと一番」は十日町からの生放送で「雪掘り」、「つっとこ」、「サイの神」が話題でしたが、放映中に青空が時々見えました。めったには晴れないのでしょうが、好天時の雪景色も見たいなぁ・・・と思っています。機会がありましたら撮影・掲載をよろしくお願いいたします。 寒さが続きますので、どうぞご自愛ください。 〔神奈川 中村宇八郎さん 2010.1.11受信) メール有り難うございました。昨日は小屋の雪下ろしをしたあと、政栄さんと写真を撮りに隣の集落までいってきました。快晴下の雪景色をとのご所望ですが下の写真は私のとても好きな村風景でフォトニュース欄に四季にわたって撮った写真があります、やはり、昨日の写真の中でも最も好きな画像です。下記リンクのフォトニュースのバックナンバーの春、秋の写真と合わせてご覧頂ければ幸いです。 三角林から居谷集落を望む 2010.1.11 →※バックナンバー 早春 若葉 紅葉 新年明けましておめでとうございます。 今回、大橋さんのホームページ「石黒の昔の暮らし」を拝見して充実した構成・内容に感銘しております。 私の故郷は石黒からそう遠くない現上越市吉川区川名木山、旧源村名木山部落です。 季節、地形、生活様式、文化がほぼ同じですから「石黒の昔の暮らし」を拝見していますとその内容にどんどん引き込まれてしまします。 ご苦労された古文書の収集・デジカメを駆使されて沢山の映像情報を分り易く系統的にまとめられた素晴らしいホームページと思います。史実と現状写真など裏づけデータがしっかりしていることが魅力的で素晴らしいです。 ツリー構造が分り易く構成されていますので石黒の昔を名木山の昔に置き換えて面白い様に理解できます。余りににも昔が浮き上がってきますので感激でいっぱいになります。 また、この素晴らしいホームページ作成に当たっては地域の皆様全員がご協力されたとのこですが、それで内容がしっかりしたのでしょう。何事も全員参加ほど難しいことはありませんが、本当に素敵なことです。 更に充実したホームページへと日々努力されていることに敬服し、私としてはパソコンを開いて見せていただくことが最高の楽しみです。 ますますのご発展とご活躍をお祈り申し上げます。 極寒の季節が続きますが、どうぞご自愛いをいただき健やかにお過ごしください。 〔神奈川 中村宇八郎さん 2010.1.6受信) この度は、HP「石黒の昔の暮らし」に、過分なるお褒めの言葉を頂き恐縮しております。〔貴兄のようにHPの構成等について言及頂いたことは初めてで感激しております。更に工夫改善をしていきたいと思います〕
また、こうして石黒出身以外の方からご覧いただき、激励のお言葉をいただくことは、編集会にとって特に、嬉しいことであります。
定年退職後すぐに取り組んだ仕事でありますが、間口を広げすぎたため不備なところも沢山ありますが、今後も努力して改善していくつもりであります。
どうか、これからも、お暇の時にご覧いただき御指導よろしくお願い申し上げます。
新年明けましておめでとうございます。 新年早々、冬将軍の襲来で、特に北陸地方では大変な寒波のようですね。 身をもって体験した雪情報は、いつも幼いころの郷愁を誘い、老いてもフト我に返らせてくれるひとときになっています。 いつもHPの充実にご尽力頂いていますこと感謝し、その成果に感服しています。 どうぞ、ご健康に留意され、HPの発展に益々のご活躍を頂きますようお願い致します。 (愛知 大橋末治さん 2010.1.2受信) 〔前文略〕5年ほど前に、Fさんから名著ブナ林の歳時記を見せて貰いました。 よくもまあ、こういう立派な作品を作られたものだ・・と感心しました。その後、ネットで昔の石黒の話の力作を知りました。 中でも「ブナ林の里石黒通信」を筆頭に、地元の情報を タイムリーに世界中に発信され続けておられるので最敬礼です。 それが公に認めらて栄えある御受賞、本当におめでとうございました。 新鮮で貴重な情報を愉しみに待っている人、また、発信を支え人の喜びを我が喜びと奉仕されている大勢の 人たちの為に、新しい年も益々の御活躍を期待しています。 (新潟市 中村幸夫さん 2010.1.1受信) 半世紀ぶりに懐かしい中村様よりコメントを頂戴して嬉しく拝見致しました。特にコメントの最期の言葉〔上記朱文字〕をほんとうに有り難く存じます。このよう仕事をしてみて大勢の方のご協力なくして何ごともできないことことを痛感しております。どうぞ、御指導よろしくお願い申し上げます。 12月の雪としては20数年ぶりといわれる大雪でしたがお元気ですか。 15日頃から冬型になり、石黒では、最初は雨でしたが徐々に雪となり、連日降り続きました。冬囲いは終わっているのですが、いざ雪となると細かな冬仕舞いの仕事が色々あります。 今度の雪は朝から晩まで昼は20p余り、夜は30pほどでしたから、翌日は玄関と車庫前の除雪で午前中は終わってしまいます。午後はくたびれて何もすることが出来ない有様でした。こんな日が3日ほど続き、結局、積雪は140pに達しました。このまま大雪になると大変だと思いましたが、その後陽気がゆるみ雨となりホットしています。 今後、こうした雪が続くと冬越しが心配になりますが、やはり、昔から雪と遊び、格闘して生きてきた身体ですから何とか頑張ることが出来るだろうと信じています。 今日は年賀状を漸く書き終わりました。 (居谷 田辺雄司さん 2009.12.25受信)
カラムシ街道のイベントは盛大の様子が眼にみえるようです。 フォトニュースの写真も何回も繰り返して観てしまいました。
石黒ホームページが故郷を離れて、県外で暮らす人々と故郷の距離を近づけ、ともすると薄れかかった故郷への想いを目覚めさせ、蘇らせる力はとても大きいと思います。きっと「石黒HP]は密かに大勢の方々の心のよすがとなっているのではないでしょうか。 又、石黒通信が一番人気なのは故郷と繋がれるからだと思います。故郷への思いは薄れかけても決して忘れはしませんから・・・
メール有り難うございました。(福島 大橋洋子さん 2009.11.11受信) 私たちのホームページが皆様の心のよすがとなっているとしたら、これ以上うれしいことはありませんね。 今日、親類の結婚式に出席した折りに、上石黒出身のお方〔田辺さん〕にお会いし、お話したところ、日課のように毎日HP「石黒の昔の暮らし」を観ていてくださるとのことをお聞きし感激しました。特に、植物に興味をお持ちとのことで石黒の野草についての話題で行き帰りのバスの中で充実したひとときを過ごすことが出来ました。 この方はHP「石黒の昔の暮らし」すべてに目を通したとおっしゃっていました。現在約45000ファイルでかなり膨大な量に達していますが、よくまあ、根気よく観てくださったと、ほんとうに有り難いことと感謝の念でいっぱいです。 このように興味を持ってHPを観て頂いている方にお会いしたりお便りをいただくことが何よりも励ましとなり制作意欲を高めます。 後5年は今の体力と根気を低下せずに制作に取り組みたいと念じています。皆様のご御指導と協力を切にお願いする次第です。 2009.10.24 編集会 大橋寿一郎 石黒通信HP 編集ご担当殿 先に、コイスキの思い出をメールしましたが先般、舞鶴に墓参りに帰省し妹にHPのコイスキの話をしました。ところが古い家を建て替えた際にコイスキが出てきて処分しようとしたが、父の思い出の物であり保管しているという話でした。
早速倉庫から出してくれました。私の記憶ではコイスキ1本と思っていましたが2本でした。それ以外にカンジキと思われる物があり一緒に写真を撮りました。昔父が雪かきをしている姿を思い出しました。
とりあえずご連絡まで。
(兵庫 中村忠雄さん 2009.10.12受信) メール有り難うございました。 コスキとカンジキの貴重な写真も拝見しました。使い込まれた民具のもつ品位が感じられます。 御尊父様をはじめご家族が故郷板畑で丈余の雪と、このカンジキを履きこのコスキを振り上げて戦われてきた姿を想像すると、相手が道具とはいえ自ずと頭が下がる思いがしますね。 石黒の民具に写真を掲載させていただきたく思いますがよろしくお願いします。 編集会 大橋寿一郎 山梨在住の大橋幸夫と申します。HP「石黒の昔の暮らし」を懐かしく見せて頂いています。 本屋で岩波書店「ギリシア・ラテン引用語事典」20刷を見つけ購入し、時折開いて見ています。 「黄昏にて」に寿一朗さんが若い頃から活用されていたことが載っていたことを思い出したのが購入の動機でした。 難解すぎて、ただ眺めているだけのことが多いですが、傍らに置いて時折、開いています。 数日前、いつものように頁をめくっていて「β」の最初の項を見たとき、大先輩に一喝されたような気持ちになった言葉がありました。「まさにその通りです」と応えるしかありません。 その言葉は、「酒は過多ならず、過少ならざる適度が最上なり。過多、過少は悲しみと狂気の原因となれば。」というものです。これからは「適度」を心掛けようと考えています。 HPではいろいろな植物の写真・解説を見せて頂き、心が和む思いです。 どうか、皆様、健康に留意され、ますますのご活躍を期待しております 山梨在住 大橋幸夫さん2009.9.8受信 メール有り難うございました。 いつもHPをご覧いただき感謝申し上げます。 岩波書店「ギリシア・ラテン引用語事典」20版をお求めとのこと、私の所持する本を昨夜取りだして見ましたところ第5版(1957)でしたので、以来よくぞ今日まで人々に読まれ続けたものと驚いています。 傍らに置いて時々見ておられるとのこと、私もそうでした。小生はその時に共感したものは色鉛筆で○をつけたりしていました。そのことによって、その本に対する親しみを増すような気がします。 貴兄のご紹介の項にも小さい○がついています。「過少ならざる」という言葉は少し意外な感じもしますね。過少は「悲しみと狂気の原因」の「悲しみ」につながるものと解釈できますね。わが国には古来「酒は百薬の長」という故事がありますが、薬という観点からいうなら過多過少は明らかに禁物です。いずれにしてもこの言葉の作者は相当の酒飲みであったように想われますね。(呵々) 何とぞ、これからもHPをご覧いただき、お気づきの点など、ご遠慮なく御指導頂きたくお願いもうし上げます。 石黒通信HPご担当殿 小鳥のさえずりが気持ちよく流れていいですね。
9/4 HP反映分に、コイスキーの紹介がありました。もう60年程前に遡りますが私の家にこのコイスキーが1本ありました。
父が農業を止め板畑から舞鶴の海軍工廠に就職した際、板畑から持ってきたのでしょう。私が小学校の時(昭和24〜29年頃)、舞鶴でも雪が40〜50センチ程積もりました。父は出勤前、玄関前や勝手口等に積もった雪をコイスキーを使って雪かきをしていました。近所の家では、もっぱら角シャベルや竹箒等で雪かきをしており、 我が家は木製の変な形のスコップがあり不思議だなと思ったことがあります。
コイスキーに雪がへばり付かないように熱したコテでローソクを溶かしコイスキーの表面に塗っていたことを思い出します。子供心に、スキーでもないのにコイスキーという名前が疑問のまま今に至っています。
(兵庫 中村忠雄さん 2009.9.6受信)
メール有り難うございます。
コイスキーの思い出についてお話を聞かせ頂き有り難うございました。私の集落(下石黒)では「コイスキ」とよんでいました。すでに、スコップが普及しており、コイスキは主に新雪の除雪向けであったと思います。
子どもの頃は、コイスキを使った除雪は苦手でしたが、中3のころになって、ようやく屋根の除雪では角シャベルに比べ数倍能率があがることがわかりました。使い方のコツが身に付いたのですね。とくに茅葺き屋の除雪にはなくてはならない用具でした。
また、新雪が1メートル近く積もった朝の道ち付けにも必要な用具でした。前方の雪をコイスキでかき分けないと足が上がらないのですから。
しかし、シャベルのない時代はコイスキでかなり堅い雪も処理したものでしょうね。昔の人達の苦労は大変なものだったと思います。
今日は板畑の嶽(集落より100mほど上った広いソバ畑)でソバまきが行われるとのことです。
柏崎の新聞には「天空のソバまき」との見出しで前もって報道されています。その様子を皆様にも石黒便りでお知らせする予定です。
皆様からメールをいただくことが何よりのHP制作の励みです。ありがとうこざいました。
編集会大橋寿一郎 e-mail yokotesimo@yahoo.co.jp
※誤報のお詫び 天空のソバまきは8月にすでに終了し、すでに芽が10pほど゛に生長しているとのことの連絡をいただきました。1ヶ月違いの誤報をお詫び申し上げます。 大橋寿一郎 更初めて投稿させていただきます。 「石黒の昔の暮らし」を見るたびに、いつの日か開くのが日課になっています。 懐かしく思いタイムマシーンで過去に戻ったような気分で、過去への道案内人に導かれてマウスを動かしています。 「石黒の昔の暮らし」の編集委員様に感謝の気持ちでいっぱいです。、ありがとうございます。 「石黒の昔の暮らし」で石黒小中学校の旧校舎をみていると、落合地区から学校に通っていた頃が思い出されます。 ( 大橋松寿さん 2009.7.30受信) 「更新ごくろうさまです。」 更新の動植物、とてもきれいです。いつもながら
何度も何度も見てしまいます。
ハグロトンボにカジカガエルの音声入りも効果抜群です。
効果音の役目は大きく気持ちが引き寄せられますね。
(福島 大橋洋子さん 2009.7.22受信)
いつも応援のメール有り難うございます。毎日10時間以上もPCとにらめっこの 仕事は孤独な作業です。皆さんからこうしてメールをいただくことが何よりの 励ましと感謝しています。70を過ぎると脳の働きもいよいよ鈍り、一方、PC は益々進化していくので時間的なロスも多くなります。 見直しも十分できないでいますが、誤字脱字などお気づきの点をメールにてお 教えいただければと、横着なことを思っています。 どうぞ、お元気で。 大橋寿一郎 e-mail yokotesimo@yahoo.co.jp 更新項目興味深くみております。
植物の根茎、花から実へ・・・それぞれの
過程が分かると大変勉強になり、とても神秘と
親しみを感じます。
(福島 大橋洋子さん 2009.7.4受信)石黒通信HPご担当様 6/6(土)、7(日)に私夫婦と妹夫婦の4人で父母の故郷である岡野町(母方)と板畑(父方)を訪ねることができました。途中、西之入りの安住寺に寄ってみました。大きなお寺でした。板畑の人が遠く離れた安住寺の檀家であるのが不思議に思いました。 岡野町の叔父宅を訪問し、引き続き板畑に向かいました。天気は曇りでしたが、黒姫山は見えていました。既に田植えが終わっており、植えたばかりの早苗が風で揺らいでいました。石黒通信HPの写真の通り緑の深い風景がありました。 その夜は、”じょんのび”に泊まり、温泉に入り、ご馳走を食べじょんのびしました。翌日は雨音で目が覚めました。 朝食後、柏崎の恋人岬に行き、米山を見ましたが雨天で山は見えませんでしたが海岸線と高速道路橋の景色を撮り帰路につきました。私達にとって今年のビックイベンになりました。ありがとうございました。 (兵庫 中村忠雄さん 2009.6.9受信) 珍獣は狸でしたか……。一寸がつかりした感じです。小生、石黒で狸を見た記憶がありませんでしたので、狸? といふ発想は全く起こりませんでした。狐は独特の足跡から、冬場には何度か見た記憶があるのですが。 それにしても西瓜などがタヌ公の被害にあつていたとは、ちつとも知りませんでした。西瓜の被害といへば、城山に巣くふ鴉の大群しか思ひ出せません。
里山の問題、森林の荒廃などで獣界、人界の境が昔ほど定かで無くなり、各地で問題化されてをりますが、その一環なのでせうか。昔は熊がゐるなど思つてもみませんでした。
( 東京 小野島 淳さん 2009.5.31受信) HP編集有難うございます。 HPを見ていて父母の故郷に行って見たいと強く思いました。 6/6(土)、7(日)に私夫婦と妹夫婦で父母の故郷である板畑(父方)と岡野町(母方)を訪ねることにしました。 途中、安住寺にも寄ってみたいと思っております。 父母の緑深き故郷をしかりと脳裏に刻んできたいと思っております。 よろしく。 (兵庫 中村忠雄さん 2009.5.29受信) 「にっぽん原風景紀行」の番組の情報ありがとうございました。 我が家のテレビでは見れませんでしたので近所の人がデジタルテレビで予約でとってくれたのを「お茶飲みしながら見に来な!」と言われ、午前中お茶飲みして今しがた帰ったところです。 いやぁ〜、すっごく良かったです。懐かしく感動しながら観ました。 稔さんご夫婦も懐かしい顔ぶれでお元気で何よりですね。 (福島 大橋洋子さん 2009.5.29受信) 09.05.22付「近況だより」の動物の正体は何なんでせうね? カメラに目線を向け、その後悠々と水を飲む姿からは「犬」としか思へませんけれど。と思ひつつ、正体の判明をある種の期待をもちつつ楽しみにしてをります。 ご紹介のあつた落合側の「くぐり」の辺りの記憶が蘇へりました。理科の時間に藻の一種を採取のため行つたのでしたが、フルチンで飛び回つてゐた記憶が鮮明に残つてりますので、どうやら水遊びが主であつたやうです。
確認したいことがあり、図書館で童謡、愛唱名歌の類の本を三冊ほど見たのですが、殆どの歌を唱することができたのには我ながら吃驚したことでした。とくに童話との関連の「浦島太郎」「桃太郎」「一寸法師」などは五番、六番とあり、それらもしつかりと覚えてをり、当時の先生方が斯うも熱心に教へて下さつたのかと、感謝の念で涙する思ひでした。
歌を通じて道徳などもしつかり学んだやうに感じました。短期間ではありましたけれど、塩浦先生の記憶が強烈に残つてをります。
( 東京 小野島 淳さん 2009.5.24受信) 近況だよりの田植え風景は、あの頃が甦り、辛かった田植えもこうして見ると懐かしく心が和みます。 それにしても村の皆さんのお元気なのにはたまげたり、羨ましい かぎりです。 石黒でも今頃はきっとタニウツギが満開なのではないかと思いながら、HPのお陰で道端の小さな小さな草花にも眼が向き、その小さな花の 美しさに目を見張るこの頃です。 番組取材「日本の原風景紀行」放映が決定しましたら是非、 石黒通信でお知らせください。 (福島 大橋洋子さん 2009.5.21受信) HPをいつもありがたく、嬉しく拝見してをります。 「石黒の方言」の部を見てをりましたら、「よした」の項に、<ネコがネズミを捕ってきたときにも「よした、よした」と言って褒めてやった>とあるのを読み、十数年前に俳句の所属結社誌の創設周年記念号に応募した随筆「鼠騒動」に書いたことが思ひ出され引っ張り出しました。 (前略)どう躾けられていたのか、鼠を捕まえると銜えて来て祖母に見せるのであった。 「よした、よした、よしてくれたっけない」と、これはありがとうというほどの意味なのだが、祖母にそういわれるとミャーは見えない所に移動し、一滴の血も一毛も残さず食べるのであった。(後略) 「新潟日報」5月15日付の日報抄は、方言の「あったらもん」を引用したもので、「あったらもん」は「あたらもの(惜物)」が転じたとも言はれてゐることを知りました。 「石黒の方言」にも古語との関連が説かれてをり、興味深いものがあります。 ご自愛のうへご活躍ください。 植物が続々更新され、植物図鑑を見ているように とてもきれいなのでつい見入ってしまいます。 同じ一つの植物もその時々の姿が素敵で感動的です。 「クジャクシダの開きかけた葉」も、何度も見つめてしまいました。 スッカンボなどの赤い葉っぱの わけ・・なるほどぉ、勉強になりました。 (2009.5.8 受信) 小岩峠越え「お疲れさまでした」。新緑がきれいで懐かしく 見入っていましたが、それにしてもよく歩かれましたね。 原野にかえっているそうですが、かっては暮らしの重要道路 だった道だと思うと懐かしさや寂しさと同時に何だかとても 不思議なものを感じてしまいます。 (福島 大橋洋子さん 2009.5.2受信) 受賞おめでとうございます(遅ればせながら) 大勢の人に認めてもらった証しですね。 すばらしい大作なのにまだまだ進化している事に驚かされています。 歌声が入ったり写真が動いたり本とは違うパソコンならではの楽しさを、楽しんでいます。 お陰様で60年以上も前の幼児体験を懐かしんでいます。 (千葉 今泉節子さん 2009.4.21受信) 例年に比べ花類が咲き出す時期は10日間くらい早いように思います。暑いほどの日が続き、一雨ほしいと思っていましたが幸いにも今日は午後からポツポツ降りだしました。 現在、10時半ですが本降りとなり、人ばかりでなく植物等も一息ついて明日からまたぐんぐん成長するのではないかと思います。 (石黒−居谷 田辺雄司さん 2009.4.16受信) メールありがとうございます。 一般の方に私の昔取った鉄道の写真が、お役に立ったとすれば、望外の幸せです。 鉄道マニアでない方からメールをいただいたのは、今回が初めてでしたので、とてもうれしかったです。 これからのご活躍を期待しています。 (東京 堀 越 通 生さん 2009.4.14受信) HP私の撮った鉄道写真http://homepage3.nifty.com/m_horikoshi/ 上記の貴HPより、貴重な写真、(昭和43年撮影の浦川原駅の写真)をお借りしてありがとうございました。 私は小学4年生の時(昭和24年)に高田に行くために、石黒から浦川原まで歩いてこの駅から軽便に乗ったことがあります。秋の稲刈り休みの頃で午後に担任の先生に連れられて石黒を出たので、直江津駅に下りたときには真っ暗でした。駅前の高い丸い街灯が強く印象に残っています。車中の椅子もただの木の板でできていたように記憶していますが、記憶違いかも知れません。(大橋寿一郎) 春の石黒の明るい情報で、とても素晴らしい気分にさせていただいています。殊に、動植物の調査は、まさに新天地で専門の学者の新種発見の調査結果を紹介して頂いている気分です。大変な労力と時間が必要なこととお察し致します。ご健康には十分ご留意下さい。
HPの盛況ぶりは、連日見張るものがあり感心しています。過日、上石黒の田邊英之さん(2年後輩で同じ三菱重工入社)に会う機会があり、石黒の素晴らしいHPのことを紹介しました。
早速、拝見したとメールがありました。内容の充実振りに想像以上と驚いていました。機会を見て投稿もと提言しておきましたので、その内何かあるかも知れません。その節は、よろしくお願い致します。
予断ですが、私も数年前、京都の東本願寺を参拝した折、石黒の大橇のことを知り、貴兄にお伝えしようと思っていたところです。4月始めに、再度京都を訪れる予定があり、写真付きでお伝えする心算でいました。ところが、4月初旬に大橇のことがHPで先に紹介されました。よって、これらの情報はご存知のことと存じますが、数日前の東本願寺訪問時撮影した6枚の関連写真を添付させて頂きます。何かのご参考になれば幸いです。写真には、一部に光が入っており醜いものになっており、申し訳ございません。
なお、当時のことは、東本願寺境内の真宗大谷派宗務所を訪ねて聞いたところ「両堂再建(東本願寺出版、一般の書店には無し。ご参考まで)」と言う本に詳述されていました。
それでは、また。
(愛知 大橋末治さん 2009.4.13受信)私の住んでいるところでは新緑もえる季節に入りました。
庭のさくらんぼの木の花が咲きましたので、添付したいと思います。
高田公園のようなお花見会場のようなところはありませんが、山桜がたくさん咲いている田園風景もまたいいものですね。
それでは、失礼いたします。
(ドイツ在住 矢澤香織さん 2009.4.13.受信) 先日、京都府綾部市にある温泉施設「仁王の湯」の帰り道、車で走っていると 「caffe じょんのび」を見つけました。私の父母の故郷の言葉ではありませんか... 新潟の人がやっておられるお店かとワクワクしながらお店に入り、第一声に「新潟の高柳の人ですか?」と聞いてしまいました。ご夫婦二人でお店をしておられてご主人が 自転車で日本一周された時、新潟で「じょんのび」の言葉に会い、感動してお店の名前 は「コレ」と決められたそうです。ここは上林川が流れて周りは山、夏には鮎、蛍が飛び交うのどかな所、高柳と似ていませんか?ほんの一時でしたが、幸せ感に浸れました。 父母の故郷の言葉「じょんのび」私も大好きです。 (京都 今村文子さん 2009.4.6受信) 春を感じる穏やかな一日でした。 尾神嶽雪崩遭難関連の記事をはじめ更新項目を 興味深く拝見しました。 石黒ホームページも堂々の全国発信向けの貫禄顔になり 色んな人や、いろいろな関わり合いが出来てネット時代の 良きすばらしさですね。 戦後世代の私達はやっぱり昭和初期から終戦前後の昭和史や 村の暮らしの様子を知る事は、感動と共に興味深くとても為になります。 これからも大勢の皆様から、懐かしい昔の思いで話を語って もらえることを心から願いたいですね。 (福島 大橋洋子さん 2009.4.5受信) 文部科学大臣賞受賞おめでとうございます。 素晴らしですね。自分のことのように嬉しいです。 本当に本当にためになるページなんです。 いつも大変お世話になっています。 古文書の画像データやテキストデータを公開していて 博物館も顔負けです。 私は自分のルーツを調べていてこちらのページに たどりつきました。 現存している先祖の家の画像がありました。 古文書画像データの中には先祖の賞状もみつけました。 自分の先祖の出身地、それも小さな小さな村が こんなすてきなHPを持っているなんて!! 家系図講座の仲間にもこんな幸せ者はいません。 このページをご覧になっている方にもルーツの事で ご協力をお願いすることがあるかもしれません。 (北海道 後藤久美子さん 2009.4.3受信) 先般お送り頂きました資料戸籍簿86の左ページに記されている 母シマさんの入籍届けで関矢音吉方へ夫龍蔵と共に入籍届け出 とありますが音吉さんの地番には昔「サカイヤ」という家があり 関矢という姓であったとの事実を先般、村の古老より聞き取りました。 その家は集落図の「東」の家の位置です。(当時、「東」はもう少し集 会場寄りにあったとのこと) もう少し、確かめてみたいと思いますが、どうも、あなたの母上の家系(関矢)は屋号サカイヤではないかという確信が強まっています。 このホームページを見られている皆様の中で下石黒の屋号「サカイヤ(サカヤとも呼んだ)から女の人が北海道に渡られたという話をお聞きの方は、お知らせ頂ければ幸いです。 945-0041 柏崎市松美1−12−43 大橋寿一郎宛 〔前文略〕HPの本文の中にある写真に、一言、解説や名前が 添えられる事でこうも受け止め方が違うものかと驚いています。 写真の説明があると観る側に説得力や納得感を与え、何よりも写真が生(活)かされる事と思います。写真を素通りさせずに必ず足止めする効力は大きいもので 自分でも驚きます。解説の要らない写真もあるでしょうけれど、できるだけ写真の下の説明はつけてほしいと思います。 (福島 大橋洋子さん 2009.3.17受信) お祝い〔電報〕 文科大臣賞受賞おめでとうございます。 郷土の誇りであり、HPは財産です。 この熱い思いが過疎の防止になることを祈念いたします。 ( 埼玉 田辺繁雄さん 2009.3.14受信) ( 茨城 東 結子さん 2009.3.11受信) 国政機関の「文部科学大臣表彰」素晴らしい成果ですね。おめでとうございます。まさに「石黒の昔の暮らし」に関わったご担当者はじめ関係者全員の日頃のご努力の積み重ねの結果と思います。 陸の孤島と言われ、ともすると世の中に置き去られてしまい、この先もずーと忘れられてしまいそうな「石黒」に、世界中どこでも見える、とてつもない大気球を打ち上げて頂きました。石黒村を肌で感じてきた人々にとってこの上ない喜びであり、何ものにも変え難いかけがえの無い貴重な贈り物となっています。
この度の「マイタウンマップ・コンクール」入賞、誠におめでたうございます。平素の道なご努力が報いられたこと、心よりお慶び申し上げます。 先にも申し上げましたやうに、小生俳句を趣味の一つとしてをりますが、自然に対する感受のあり様は何と言つても石黒での8年間の暮らしが根底に厳然としてあるからです。東京生まれの東京育ちと思つてゐる仲間たちをときをり驚かすやうなことがあるのも全くそのためです。
愛用の講談社版「日本大歳時記」に師である林翔の句「草刈女さゆらぐ笠は鎌砥げり」があり、それを能村登四郎が鑑賞してゐる中に、「少しでも刃が鈍ると農人はもって来た砥石にあてて鎌を砥ぐ」とあるのを一読疑問に思へるのも、水のないところでは砥石に唾をかけて砥いだ体験があつたからこそです。
俳句の仲間たちに小生の第二の故郷としてHP「石黒の昔の暮らし」を見てくれるやう紹介してをりますが、またひとつ弾みがつきました。
益々のご活躍を期待してをります。
( 東京 小野島 淳さん 2009.3.6受信)
はじめまして、市内に住んでいる中山といいます。 このたびは、第15回マイタウンマップコンクールでの「文部科学大臣賞」受賞、本当におめでとうございます。初めて貴サイト「石黒の昔の暮らし」を拝見させていただきましたが、構成がしっかりしており質量共に大変素晴らしく、つい圧倒されてしまいました。貴編集会が数年前に自主出版された冊子「ブナ林の里歳時記」(先日、読ませていただきました)とはまた違った意味(デジタル化された作品として)で、感動するものが私にはありました。長年のご努力や地域への熱い思いが、今回の栄えある受賞につながったと拝察いたしております。 私も今まで勤務した学校で「開かれた学校づくり、特色ある学校づくり」のために、子どもたちの生き生きとした取組などをWeb上で情報発信してきました。昨年度、マイタウンマップコンクールに学校のHPを初めて応募し「わかば賞」をいただき、東京の日本科学未来館で行われた表彰式に行ってきました。そして今年度は私の気ままなHP「中山博迪ふぉとめもりー」(http://www.page.sannet.ne.jp/hiromiti)を応募しましたが、こちらも思いがけず「実行委員会奨励賞」をいただくことになりました。(皆さんのHPには、質量共に足元にも及びませんが、何とか2年連続で受賞させていただきました。)これからも余暇を利用して、少しずつそして気長に更新していきたいと考えています。
同じ柏崎市内に住む一市民として、お祝いかたがたメールさせていただきました。ますますのご活躍を祈念いたします。また「Web発信のよさ」を共有しながら、お互いに少しでも高め合っていけたらと思っています。 今後ともよろしくお願いいたします。
私は大橋幸夫と申します。 下石黒出身で、いつも「石黒の昔の暮らし」を楽しく見せて頂いています。 このほどHP「石黒の昔の暮らし」がマイタウンマップ・コンクールで文部科学大臣賞生涯教育の部にを受賞されましたこと、誠におめでとうございます。 こころからお祝いを申し上げます。 このHPは、皆様がが長年にわたり、こつこつと資料を集められ、発表された貴重な内容ばかりであり、それが認められたことは自分のこと以上にうれしく思います。このHPは石黒に生まれ育った私達にとっても、財産であり宝であります。 植物の記載についても、石黒の居谷の奥から板畑の嶽の上まで徒歩で歩かれ採取されたもので、撮られ写真も2万枚を超えたとお聞きしています。 毎日、このHPを見させて頂いていると、皆様がのこのHPに掛けておられる熱意がひしひしと伝わってきます。その熱意が報いられ、今回の受賞につながったものと思います。本当におめでとうございます。 どうかご自愛のうえ、ますますのご活躍を願っております。 (山梨 大橋幸夫さん 2009.3.2受信) 過分のお褒めの言葉を頂戴して恐縮しております。「HP石黒の昔の暮らし」は、冊子「石黒の昔の暮らし」をもとに石黒にゆかりのある特に若い方々から読んでもらうために制作を始めたものです。しかし、内容を歴史、動植物、民具等分野を広めたために手間取り、いまだ道半ばという所であります。 これまで、冊子については高柳町、新潟県文化庁、日本自主出版から表彰を受けましたが受賞者名は編集会となっておりますが、石黒在村の方々や村出身の方々から参加をしていただいてみんなで作り上げた冊子でありました。現在のHPもまったく同様であり、そのほか、動植物の各分野の専門の方々からの御指導、とくに、パソコン操作、ホームページ制作の技術面で始終御指導をいただいている方々(編集後記記載)のお力添えによるものと感謝しております。 この度の受賞を励みとして、老体にむち打ち今後も、編集会は皆様のご協力を得て努力していくつもりであります。 なお、HPをご覧いただいている皆様からのコメントが何より私たちの励ましとなります。何とぞ感想やお気づきの点をメールやお手紙、お電話にてコメント頂きたくお願い申し上げます。 好天に恵まれて大盛況の「高柳雪まつり」をみながら 故郷の頑張りに、元気と感動をもらいました。 驚きの大きな餅ウスは、この日のために考案されたのでしょうかネ! 鳴き声と姿が一致しない鳥も、HPで姿がわかると親近感が倍増するものですね。 特に更新の「アカショウビン」は、是非姿を見てみたい・・と思っていましたので とても感激していますが、きれいな可愛い鳥ですね! 鳴き声も記憶から抜け落ちていましたので大きな感動でした。 逆に、鳥に限らず動植物の擬態や保護色など、神秘と技の主に想いを 馳せながら、「木のコブ」になりきっている鳥ちゃんが妙に愛しく 思わず一人で声なく笑ってしまいました。 (福島 大橋洋子さん 2009.3.1受信) (前文略) 時々、パソコンのスイッチを入れて「石黒の昔の暮らし」見ております。見せていただいていると、遠く過ぎ去った昔のことがよみがえります。険しい山坂の道を上り下りしながら夢中で農作業に精を出し、疲れも感じず働き暮らしていた若い頃の事が走馬燈のように懐かしく思い出されます。 時々、お茶のみでパソコンを囲んで、昔の話に花を咲かせてみんなが若い頃に戻ったような気持ちになって楽しいひとときを過ごすこともあります。そんな時、石黒の自然の良さ、そこで暮らしてきた有り難さも改めて感じております。 このように石黒の昔の生活を記録に残してくださったこと本当にありがたく思っています。遠く石黒を離れていられる方々も、きっと喜んでご覧になっていることと思います。(後文略) (下石黒 大橋チイノさん2009.2.24受信) 夕方、更新項目「過疎」を見つけて、じっくりと噛みしめながら、とても興味深く読ませていただきました。まだ、途中ということで先の続きが楽しみです。 過疎は石黒に限らない政治絡みの深く大きな社会問題だと思いますけどこと我が故郷の移り変わりの詳細の真実を、今知って残す事は大切な事ですね。 それにしても、りっぱな道路が出来たとたんに集団離村とは・・・・・ ・・・・・・・でも、道路工事や砂防工事などが村を潤し、出稼ぎをしなくても暮らせるようになったとしたら・・・色々な考えや見方が頭をよぎります。 出稼ぎなしでは暮らせなかった石黒に出稼ぎが完全になくなったのは何時の頃だったのだろうかと時々思うときがあります。 この先、石黒がどんな方向へ向かうのかわかりませんが、村の歴史が繋がるように今を詳細に残すことも大事な事のように思います。 村の再生復活は、心からの願いですが、大きな社会問題でもあり、一人一人が何をどうすべきか難問ですけれど、せめて私達が生きた足跡の詳細は私たちの手で残したいものですね。 中後集落跡地を思い描く度に、石黒が何処へ向かおうとも、出来るだけせめて沢山の足跡だけは残してゆきたいと思いますね。 (福島 大橋洋子さん 2009.2.18受信) コメントありがとうございました。 かつての出稼ぎの急減の原因は、景気の停滞もありますが、石黒の場合は、高齢化が大きな原因だったと思います。 「過疎」は、未だ草稿段階であり今後旧高柳役場などで資料を調べる予定です。 なお、将来、石黒地区が中後集落跡のスライドショウのようになるとは想われませんが、住民はまだまだ減少するでしょう。 「私達が生きた足跡の詳細は私たちの手で残したいものです」おっしゃるとおりです。この石黒の昔の暮らしは、主に昭和の暮らしに焦点を当てておりますが、それ以前、またそれ以後の生活についても記録として残したものです。そのためにも、ぜひとも、皆様から、昔の暮らしの思い出についての情報をお待ちしている次第です。 今年は本当に雪が少ないのですね。私が住んでいるドイツの村(フランスの国境に程近い小さな村です。)では近年雪があまり降らなくなったようです。降っても翌日には消えていることが多いです。 しかしこの冬は少雪でしたがとても寒く、1月中旬は氷点下の日々(一番寒い日は氷点下13度でした。)が続きました。道路の凍結対策にはダンプカーの様な車で塩をまいているようです。
私のドイツでの生活ですが、現在は大学に通って勉強をしています。彼と彼の家族と一緒に生活をしています。
ドイツ語もそうですが、方言がとくに難しいです。まだまだ方言を標準語のように操るまでには至っていませんが、方言を聞くことには慣れてきました。
(ドイツ在住 矢澤香織さん 2009.2.8.受信)沢山の感激画像に浸りきっております。 小雪の2月のパノラマスライド画像は本当に、記録的画像で りっぱな証拠資料ですね。 信じられないような二月の石黒風景を見て、子供じみて笑われ そうですが、色んな事が異変の多い昨今、何時の日か都心から 我先にと故郷へ、先を競って帰り来る時が来るかも知れないなどと ふと思ってみたりしてしまいます。 村の冬祭りの写真は、これもまた故郷の笑顔と前向きな 取り組み姿に気持がほころび、懐かしい顔を見つけたりで 一枚一枚穴のあくほど見つめてしまいました。 (福島 大橋洋子さん 2009.2.11受信) さっそくボタンも付いて、嬉しい「全集落四季のふるさと」の スライドショー、めくる待ち時間も作りも、とってもお気に入りです。 各集落や、パノラマ風景だけのこの項目が石黒出身者の方々の よすがとなり、ふるさと巡りをしていただけたなら幸いに思います。 (故郷めぐりは、自分が一番望んでいる事なのかも知れません) (福島 大橋洋子さん 2009.2.9受信) HP石黒の昔の暮らし編集会様 いつもHPを拝見させていただいてます。 私は石黒で生まれ育ったわけではありませんが、幼いときから父の実家のある石黒によく遊びに行っていました。 高校生の頃、祖父に買ってもらったミニバイクで上越の自宅から石黒までよくドライブをしていたことを懐かしく思います。 現在は石黒から遠く離れた異国で生活しているので、なかなか祖父母の住む石黒に遊びに行くことはできませんが、 石黒の写真や近況便りを読むと祖父母と石黒を身近に感じることができ、感謝の気持ちでいっぱいです。 どうもありがとうございます。 最後に、今後もこのHPのますますの発展をお祈り申し上げます。 (ドイツ在住 矢澤香織さん 2009.2.8.受信) パノラマスライドショウーは、迫力もあり、中後集落跡の写真も、かってはここに家が立ち並び人の暮しがあったと思うと何回見ても胸が詰まるのです。 「石黒の秋のスライドショー」も時々観たくなるので見ていますがバックナンバーからも見れるんですけれど、パノラマ風景やスライドショーを一括ひとまとめにして、石黒便りのどこかで『フォトニュース」とかでみれるように出来ないでしょうか・・・ *HPの表紙に見出しのある内はいいのですが、表紙からなくなったりバラバラになると探すのに手間取るのと、どれこれなく全部きれいで迫力もあって素敵なので、スライド系を見出しにまとめて、一箇所から全部をみれれば・・・多くの人にもこの風景をもれなく観てほしいと思いましたので・・・・ (福島 大橋洋子さん 2009.2.6受信) おっしゃるとおりですね。来年の春には集落図に各集落のスライドショーを 載せたいと思います。(現在は上石黒と大野、中後が載っております) また、それとは別にご提案のように表紙の右目次に「スライドショー石黒」とでもして項目を作りたいと思います。 ご提案ありがとうございました。 追伸 今、即席に「大野の四季」を作ってみましたが、こんな形式でよいでしょうか (2.6) ●急いで作成しましたところ「戻る−止まる−進む」のボタンの設定を忘れ、ご覧の方はご不便を感じられておられると思います。近日中に改良しますのでしばらくお待ちください。(2.8) 新規に「コメント欄」・・・いいですね!
<エチゴルリソウ> エチゴルリソウの自生地のお話、石黒には貴重な植物があるのですね。無知を恥じながらも、このような奥深い故郷を誇らしく思いました。調査や保護(盗掘防止)など関係者の方々のご努力のほどお察し致します。これからも、あっと驚くホリダシモノを期待しています。 <家普請の思い出> 昭和35年の普請のお話、当時の時代の生活様式がにじみ出ていて、とても懐かしく思いました。村中の人達の支援を受け雪のある内にやる「だいもちひき」、引け目を感じつつも専ら「密造酒」に頼らざるを得なかった陸の孤島の実情、昼食に「五升ガマ」炊きをし「大きなおひつ」を必要とする田舎の親密な相互協力体制など限りない郷愁を感じます。しかし、慣例による家普請はこれが最後とのこと、過去の出来事になったのですね。 |
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石黒の昔の暮らし編集会様 いつもHPを見せて戴いています。私の父は板畑出身です。母は岡野町の出身です。その父母は既に他界しましたが私が子供の頃、父は板畑の生活の話や、出稼ぎの話をよくしてくれました。HPで石黒の昔話を読ませてもらいましたが父が話をしてくれた話が多くあり、とても懐かしく思っています。 小学校へ行く前(昭和22年頃)、岡野町から、叔父に背負われて板畑に向かう黒姫山麓の山道でほこらの様な所から、水が噴き出ており大きな木の葉をくるりと巻いてコップのようにして水を飲んだ記憶があります。その水の美味しかったことは60年を過ぎても鮮やかに思い出されます。今年は、安住寺、岡野町、板畑をゆっくりと訪ねたいと思っております。 HP作成ご苦労様ですが、今後とも継続して下さい。 有難う御座いました。 (兵庫 中村忠雄さん 2009.2.1受信) |