ほうのき山の地名が見られる古文書  (田辺重順家文書)
 
        下石黒村
        山林畑質入れ主
              長助

 天保四巳十月一年季質入れ
 一 林一か所 名所ほうのき山
   此の金一分三朱也

 一 同一か所 名所滝のふじ
  此の金一分一朱也
 〆て金三分也
        下石黒村 
         質入れ主 市十郎
 備考
 石黒村庄屋文書で「ほうのき山」の地名を探していたら、本文書「石黒谷田地山林質入流地書出帳」に出会った。ここに書かれた名所〔地名〕の「ほうのき山」も「たきのふじ」も筆者の家の主な作場があった場所である。
 ほうのき山にはホウノキは多く見られたが単独の群落を成すことはなくブナ、ナラ等と混生していた。

 それにしても、本文書を読むと林一か所の質入れ金が一分三朱、一両の三分の一にも満たないとは驚くばかりである。
 だが、この山が質入れされた天保4年は有名な天保の飢饉の年であり冷害と洪水で一揆や打ちこわしが頻発した年である。高柳の各村から、不熟安石代願いや上納延期願いが出されている。
石黒村の「定」などもその窮状を物語るものであり、こうした状況で金に換えられるだけでも幸いであったのであろう。
「石黒谷田地山林質入れ流地書き出し帳」より抜粋- 文責 大橋寿一郎