田の草取り
                          田辺雄司
 昭和初めの頃は、4月になってやっと雪消しをした苗代にスジマキをするのでした。種モミは一反歩(10アール)2升ほどの量を前年の秋に採取して保存しておくのでした。
 当時は水苗代なので水の管理が容易ではありませんでした。おおよそ2ヶ月後の6月初め頃に田植えが始まるのでした。
 当時の田植えは縄植えとか竿植えなどでトウド(手伝い)を頼んで大勢で賑やかに植えたものでした。田植えが終わるとしばらく畑仕事の野菜の種まきやサツマイモの苗の植え付けなどをしました。
 その頃になると田の水温も気温と共に上がり、よく醗酵しない堆肥などが熱を発して植えた苗を浮かせてしまいます。それでガス抜きと言って小さな草を取りながらかき回し、苗の根本を押しつけるようにしてガスを抜くのでした。これが最初の田の草取り(1番ご)でした。その後、2、3日過ぎると植えた苗がしっかりと土に根を張り養分を吸い上げてぐんぐん成長を始めます。この様に一番ごの田の草取りは田の草を取り除くというより、かき回したり苗の根元を押さえたりしてガスを抜いてやる仕事でした。
 2回目の草取り(二番ご)なると、ヒエやオモダカ、ナギなどの雑草が大きくなっていて取るのに手間がかかります。二番ごが終わると、また畑の草取り、追肥などの作業と田の畔の草刈りを行いました。
 そして、三番ごの田の草取りでしたが、この頃になると稲も穂ばらみ(ほがふくらむ)を始めます。時にはお盆直前まで作業をすることもありました。その頃になると真夏の日差しをまともに背に浴びるので日よけのためにワラビの大きなもの(ホトラ)を3、4本折って帯に差して作業をしました。また、顔や頸は稲のざらざらした葉にこすられひりひりして痛むのでした。
オモダカの花

田の草も大きく成長していてオモダカコナギが白や紫の花を咲かせている頃で取り除くのが大変でした。
昭和30年代に2、4−Dという水田除草剤が始めて使われるようになりました。2、4−Dは水でうすめて日中の気温の高いときに、背中に散布ポンプを担いで株間の雑草に2本のノズルから散布したのでした。
 しかし、2、4−Dは液剤であるため散布にあたっては水田の水を落とし散布後2、3日してから水を張る必要がありました。そのため天水田の多い石黒では用水に恵まれた田でないと使用できなかったので、ほとんどの田は相変わらず手で取る他はなかったのでした。