サツマイモづくり
                            田辺雄司
 雪も解けて暖かな日射しとなり、まだ田んぼ仕事が始まらないうちに、サツマイモの苗床を作った。そして、貯蔵しておいたサツマイモの中から形のよいものを選んで苗床の中に順序よく並べて土をかける。その上に保温のための藁をうすくかけ、さらにそのうえをモミガラで覆った。
 そして時々、熱が出すぎていないかどうか手を入れて確かめてみた。熱があまり高くなると種芋が腐るので芽がでるまでは随分と気をつかったものだった。その他、強い雨が降ると板などを並べて雨を防いだ。
 村内には、苗床の中で種芋を腐らせてしまったので二番芽でもよいから譲ってほしいという人もいたものだった。また、当時栽培された主な品種はタイハクやカワゴエであった。
 昔は、サツマイモは主食に近いほどの大切な食べ物であったのでどこの家でも沢山植えた。我が家は大家族だったので3〜4千本ほど毎年植えたものだった。
 歩いて30分ほどの道のりの畑であったので田植えの終わった後、何日もかけてサツマイモ植えをしたものだ。
 険しい山道を親たちは背負い桶に人糞を入れ、その上に囲炉裏の灰を入れて、途中、道ばたに作られた「休み場」で休み休み背負って運んだものであった。
 畑打ちから始まり、さく上げ、そして植える場所への施肥などの作業で、私たち子どもも出来る仕事を手伝った。沢の水を手桶に汲んで来て人糞桶に入れて棒でかき混ぜて、畝の穴に柄杓で一杯ずつ入れる仕事や、そこ(穴)に植える苗を配る仕事などは子どもの仕事であった。
 畑は、高い場所にあり日当たりのよい畑であった。そこからは遠くの山々が眺められ景色もよかった。

ある時、自分たちも苗を植えてみたく父母の植え付けの様子を見ていると父が「船底植え」という植え方だと説明してくれた。
 夕方になり山に日が沈む頃になると嬉しかった。そろそろ仕事を終えて家に帰る時が来るからであった。帰りの林の中の道はすでにうす暗かった。
 植え付けてからツルがのびると、「ツル返し」といってツルを切らないように持ち上げて草を取る仕事をするために、学校から帰り中飯(おやつ代わりのご飯)を食べて何日も畑に通ったものだった。
 秋の収穫の日は楽しみであった。畑の端に穴を掘って枯れ枝や杉の葉を拾ってきて焚き火をしてその中で掘った芋を焼いて食べた。秋晴れのもと、遠い山々を眺めながら家族でふーふーと息を吹きかけながら食べた熱いサツマイモの味は今も忘れることは出来ない。
 収穫したサツマイモを家に運ぶ仕事も大変であった。背負い篭で背負って運んだり、カマスに詰めて馬の背につけて運んだ。
 家に運んだサツマイモは晴天の日に庭に広げて天日にあてて乾かした。よく乾かさない芋は、貯蔵穴で、「いきれる」とか「汗をかく」と石黒では言ったが、水分を出すので腐れやすいのでどこの家でも貯蔵前にはよく乾かした。芋の細い部分にシワが出るくらいによく乾かした。また、サツマイモは乾かすほどに甘みも増すといわれた。
 当時、サツマイモは、秋から春先まで、芋団子や芋ご飯、子どものおやつなど毎日のように食べたものだった。