昔の米の精米と保存法 田辺雄司 精米機が普及する昭和の初めまでは、精米には臼とキネを使ってしていました。私の家では男のトウド衆を2人ほど頼んで父と3人でやっていたことを憶えていいます。 キネは、餅つきキネより少し大きく(直径15〜20p)柔らかい材質の杉や朴の木でした。3人で調子を合わせてつく音がドスン、ドスン、ドスンと賑やかに聞こえたものでした。晩秋のみぞれの降る頃の仕事でしたが、父が着ていたヤマノノコの片袖をはずしてついていた姿が記憶にあります。 当時は日常食べる米は7分づきで、真っ白な米(上白→ジョウハク)を食べるのは正月やお祭り、特別なお客が来たときだけでした。 また、風邪をひいたときなどは上白でおかゆを作ってもらったものでした。とにかく、上白の米を炊くのは特別な時にだけでした。
臼で米がつき終わるたびに女衆が細かい網目のフルイにかけてコヌカを取り除き、米をムシロに広げて熱をさましてから俵に入れるのでした。 米を入れた俵は虫がつかないようにとその上に「サヤダワラ」と呼ぶ薄く編んだもう一枚の俵をかぶせて3ヶ所を縛りました。その俵を座敷の天井の梁に径20pほどの丈夫な横木を取り付けて、そこにつるして保存しました。
米を出すときには「サシ竹」と呼ぶ先を斜に切ってとがらせた竹の筒を俵に刺しこみ落ちてくる米を箕で受け止めました。適量が箕に落ちたところでサシ竹を抜いて刺した部分の藁を整えておくのでした。 取り出した米は米ビツと呼ぶ箱に入れておくのでした。また、その箱の中に板で仕切りをして粟が入れてありました。
夏の頃になると天井からつり下げた俵にもズイ虫が発生してサシ竹を刺してもズイ虫の巣がつっかえて米が落ちてこないこともありました。こんな時には棒を用意してサシ竹から中に差し込み突いて落としました。このようなズイ虫の発生を防ぐために正月以降に食べる米は土蔵の中で保存しましたが、そうするとそれほど虫も発生しなかったようです。 |