ハサ作りと稲かけの思い出
                            田辺雄司
 昭和の中ごろまでは、毎年、9月15日の秋祭りが終わってから、ようやくハサ作りをはじめたものでした。
 また、全部、縄を使うのがもったいないので大部分の家では、縦縄はクズの蔓を使いました。クズの蔓は山から取ってきて2、3日池に浸けておいてから使いました。
立てバサ

 居谷では、クズの蔓採取の解禁日を決めておいて皆が公平に採取できるようにしていました。9月20日の朝早く、区長がほら貝を吹いて村中の人が葛の蔓とりをしました。しかし、中には、気の早い人は他人に隠れて遠山へ行って夕方暗くなってから背負ってきて目立たないように池に浸けておく人もいました。
 葛の蔓は縄よりも丈夫なので主にケンダン〔ハサの一番上の横棒〕を立ち木に結びつける時に使いました。このケンダン付けはなかなか大変な作業で2間から3間梯子を掛けて竿を二人で担ぎ上げて結わいつけなければなりません。どうしても男が二人でないと出来ない仕事でした。男手が二人ない家はトウド〔手伝い〕を頼んでやる家がほとんどでした。
 ハサは田んぼを多く作っている家は、12〜13位で、少ない家では8〜9段でした。ケンダン付けが終わるとケンダンの下に横縄を段の数だけ張ります。そして、ケンダンから縦縄を下ろすのですがここに葛の蔓を使います。ハサをこわす時には、縄は翌年も使いますので札をつけて保存しますが、葛の蔓は鎌でブツブツ切ってよいので作業が容易でした。
 立ち木のないところのハサは「立てバサ」と言って丈夫な杉の竿を何十本も使って日当たりや運搬上の条件の良いところに立てました。立てバサは風が吹いても大丈夫なように前後に支柱を何箇所が取り付けるため手間がかかりました。また、ところどころに風窓をあけて風通しがよくなるような工夫もしました。
 立てバサの長所は日当たりがよいので乾きはよいのですが、雨に弱いという短所がありました。
  ハサ作りが終わると、稲刈りをして、刈った稲を背負ったり、馬や牛に荷鞍につけたりしてハサ場まで運びました。
 そして、それをハサに掛けるのですが、梯子に上ってかける父親の手もとに投げ渡すのは子供の仕事でした。6、7段はまだよいのですが、それから上の段になるととても力と技術が要りました。とくに、雨降りに刈った稲などは、ことの他重く骨の折れる仕事でした。
 秋の日は短く日暮れもはやいのですが、その日に刈った稲はその日のうちにハサにかけました。刈り取った稲を積んでおくと稲が熱を持って米の味が落ちるとも言われました。ですから、家に帰るのは真っ暗になってからでした。
 当時は学校に稲刈り休みがあり一週間ほど休みになりましたが、そんな風に毎日忙しい日が続くので疲れてしまい早く稲刈り休みが終わらないかな、などと思ったこともありました。
 しかし、田んぼの畦で中飯に食べるワッパご飯や黄色くなった柿の実や前の晩にゆでておいた栗の実などはとても美味しく楽しみでした。
 また、そんなときに、祖父が松代まで出かけて飴玉や松代名物の三井屋の粉菓子を買ってきて「手伝ってくれて、ようした、ようした」とくたれものでしたが、その美味しさも今でも忘れられません。