衣食住-他  補記 1

           越後縮布
越後縮布とは、昔、越後国〔現在の新潟県〕魚沼地方〔小千谷で創始〕を中心とする周囲一帯の地方から産出された高級麻織物のこと。当時、小千谷が最大の散集地であったため「小千谷縮み」とも呼ばれた。
 この地帯は人の住む地としては世界有数の豪雪地帯であり、山野にはカラムシが多く群生し、また後には栽培され古くから麻織物の原産地であった。 また、越後産の青苧は耐久力に優れかつ繊細であったため、京都方面にも大量に搬出された。室町時代には越後縮みは幕府の礼服用布としても使われるほどで「えちご」=「越後縮み」として通じたと伝えられる。
 戦国時代末期に上杉謙信は本座衆から権利を奪い、国内商人から青苧役〔税〕を徴収した。その後、代々の領主により課税が増加されたが平織などの改良も行われた。天明前後の最盛期には生産額20万反といわれた。

 石黒村も白布の生産が盛んであり、「越佐郷村の古文書」に天和検地帳に記された26戸で3石6升の白布高が紹介されている。
 また、元禄4年〔数57戸〕の免割御年貢帳には、その大方〔39戸〕の家に青苧高の記載が見られる。少ないものは1升から多いものは5斗8升に及ぶ家もある。
 この免割帳の青苧高を合計してみると4石4斗ほどであるが、帳面上の合計は色高〔楮・漆などに対する課税〕に含められ4石8斗と記されている。
 当時の石黒では、楮、漆なども生産されてはいたが、上記の色高の内容から青苧の生産が圧倒的に多かったことが分かる。
 
 
 また、下石黒、大橋正男家文書には小千谷町の高野茂八〔縮布集荷世話人〕宛ての数多の文書がある。長いものは半切り紙をつないだもので2.3m余に及ぶ。
 
 ここに記されたもので、カセ〔綛〕等を除き織り上げた縮布の集荷数だけで80反を越える。出荷軒数は下石黒、大野、二集落についてみると戸数に8割ほどであったと思われる。
 なお、この文書には一軒2反以上の記録もかなり多く、3反、稀には4反(そのうち1反には「よめ」)の付記あり)もみられる。
 小千谷市史によれば、「優秀者でも一冬に3反を織出すのがせいぜいであった」とあることから2〜3反を織るには相当の熟練を要したものであろう。
 ちなみに、その頃に縮1反の値段はどのくらいであったのであろうか。
 縮商いで栄えた柏崎関係の文献によると文久元年には白布中級一反の値段が3分2朱との記載がみられる。ほぼ1両に近い値である。現在の貨幣価値に換算するのは難しいことだが、WEB上で調べた限りでは1両は15〜20万円相当とみるのがが妥当のようである。とすると、ほぼ自給自足の生活に近い石黒のような農村における縮布1反の代価は相當のものであったと思われる。
 

           電灯架設
当時の電灯架設についての資料「電灯架設に関する人夫帳」「電灯架設費取立表」「電灯建設費附込取立帳」「電球交付帳」が残っている。

「電灯架設に関する人夫帳」抜粋



「電灯建設費附込取立帳」抜粋

電球交付帳」抜粋



  役場前から東頸城郡嶺村に通じる車道工事
   元石黒校北側下 撮影昭和25年   
                    青  苧

 イラクサ科の苧麻(チョマ)→(現在カラムシと呼んでいる多年草のこと)を畑に植えて2〜3mに達したものを刈り取り、水に浸した茎からとった皮の繊維を青苧→アオソと呼んだ。
 青苧は越後縮布の材料で、中世以来代表的な産地は越後であった。
 青苧は、婦女子の冬期間主な仕事としての越後縮布織りの原料であったから各地(仙田、高柳、松之山など)に青苧市がたった。
 
岡野町や松代では11月初旬に市が開かれたという。青苧市では青苧の他に各地の商人が出店し、日用品や雑貨、海産物なども販売された。所によっては興行師もやってきたというからその賑やかさは想像できよう。
 買い求めた青苧は、その後、
苧積み→よりかけ→かせかけ→煮沸・灰汁水さらし・染め・艶だし→枠かけ→機ごしらえ→機織りの工程を経てようやく越後縮布が出来上がった。
 いざり機一機での生産できる量は冬季6ヶ月で、せいぜい1〜2反が限度であったという。一反は大人の着物一枚分というから当時の機織りがいかに大変であったか想像できよう。
 織り上がった縮布は、柏崎の縮布行商が買い付けて京都や江戸へ運んで売りさばいた。当時の柏崎は縮布行商300余年の歴史があり最盛期には約2000名ほどの縮布行商がいたという。すっかり衰退した大正初期でも200軒の行商が東京まで毎年往復したという。
参考資料→越後縮み商人

(参考文献  国史大事典 柏崎ちぢみ行商史)
                                  
    

    青苧から糸ができるまでの工程


1.青苧を一本づつ爪先で細くさいて糸にする。それを次々につないでいく。(縦糸と横糸はつなぎ方が異なる)

2.糸車を使って糸に「縒り」をかける。参考画像

3.縒った糸を今度は逆にまきかえし「ねじれ」のない糸にする。

4.できた糸を1周3mほどの輪にして木の棒を通して横に広げて天井からつるす。水分を与えて今度は輪の下におもりになる棒を通してピンとはって良い糸にする。

5.できた糸を袋に入れてアク(灰)をいれた水で8時間ほど煮る。一晩おいてから翌日にきれいな水で洗う。こうすることで糸のカスを取り除きしなやかな糸に仕上げる。

9.糸を使いやすいように,木で作った四角や六角形のワクにまきとる。


(参考文献  国史大事典 柏崎ちぢみ行商史)
         嶺   村

 当時の嶺村は、嶺、藤尾、竹平、大角間の4集落で構成されていた。学校、役場は嶺集落にあった。