カヤ場なぎ
                            田辺雄司
 梅雨もそろそろ明ける頃、毎年7月15日が村の共同カヤ場のカヤバなぎの日に決まっていました。カヤ場なぎは、カヤの成長を助けることとカヤ場に進入してくる低木や草を取り除く仕事でした。
 暑い頃で、カヤ場は山の西側と東側に分かれていたので、日の当たらない場所を選んでそこから始めるのでした。
 しかし、2m余りもあるカヤ株の間の雑草や細い木などを刈り取って進むのでしたが風も通らず蒸し風呂のような暑さでした。なまじ、雨降りのほうが未だましだと思ったこともありました。でも、雨の日のカヤ刈りもあったものでしたが強い雨となり、皆が心配となり途中で中止にして田の水見をしたり自分の家の周りの排水に努めたりしたものでした。 梅雨明け前のこの頃は昔から大雨がふり、土砂崩れや、田に流れ込んだ泥水でせっかく成長した稲が泥をかぶることもあったのです。
 当時、カヤ場なぎでは、毎年3、4匹のマムシが捕らえられたものでしたが、それを焼いて塩をふって酒の肴にして夕方上がり酒を飲んだものでした。骨がなかなか硬かったことを憶えています。
 また、昭和の初め頃は山に行くにも、裸足のことが多かったのですが、よくまあ怪我をする人もなく過ごしたものと不思議なくらいに思います。 それから、カヤ場なぎでマムシにかまれたという人もありませんでしたが蜂に刺されるひとは毎年のようにいました。当時はスズメバチに刺されてもそれほど気にもせず、小便を塗っておけとかドクダミを揉んでつけておけとかという程度ですませたものでした。
 また、その頃は、ソバ造りに使うヤマゴボウ(オヤマボクチ)の葉は一番綿の部分が多くなる頃で採ると腰にさして作業をしたものでした。
 こうして、村の共同カヤ場の草刈りが終わると、しばらくは村の共同作業もなく2番ごの田の草取りをしたり、干し草刈りや堆肥用の草刈り、田のくろなぎをする人など、いろいろでした。
 その後、今年の秋はどこの家とどこの家が共同カヤ場のカヤをもらうのかが決まりました。東側は誰、西側は誰と居谷ではカヤ場を2つに分けていました。
カヤ刈りは毎年、11月に入ってから行われました。