民具補説
                ロウソク立て
 村に電灯が引かれるまでは夜間の照明は石油ランプが使われましたが、台所はカンテラ一つの薄明かりで大家族の食事の準備と後片付けは大変であったと思います。
 とくに葬式などには、式までの準備、式後の後片付けなど、親類の人が何人も来て手伝っても幾日もかかるのでした。 夜になると灯りは石油ランプ、ローソク、カンテラなどをつかいましたが、家が大きく部屋数も多い我が家では、隣近所からランプやロウソク立てを借りて来たこともありました。
 昔は、便所はトマグチ(玄関)脇にありましたので、直接外の風が吹き込むので六角提灯などを置いて用を足しました。
 葬式となると菩提寺の住職なと4〜5人来るので、そのまかないも大変でありました。とくに、冬季は泊まりがけとのなり、坊さんも迎える側も数人での送り迎えも必要で大変なことでありました。
 ロウソク立てに使うロウソクは、私達が子どもの頃(昭和の初め)は和ロウ(ハゼの木の実から作ったロウソク→下写真)が主でした。和ロウソクは煙が出ることと明るさでは劣りましたが、太く長持ちはしました。中には百匁ローソク(約400グラム)と呼ばれる長さ25pほどの大きなものもありました。このロウソクは上部が太く中部がやや細く基部が太くなるという作りでしたが、一般のロウソク立てに立てるには穴が大きすぎて立て釘に紙を巻き付けて立てたものでした。これくらい大きなロウソクになるとやはり明るいもので座敷にいる人の顔が大分よく見えたことを憶えています。 その他、石黒は多雪地帯であり冬季の雪害による停電は昔はしばしばありました。ときには数日にわたっての停電もありました。そうしたときにはこのロウソク立ての出番であり、定位置の仏壇の脇から持ち出してきて使ったものです。
いまでも、希には停電もありますが、昔のように長時間の停電はほとんどなく、また、懐中電灯なども機能のよいものが普及し便利な世の中になったと思います。
一方、電気釜からコタツや石油ストーブなど暖房まで電気に頼る暮らしとなり一旦停電となると昔よりも大変な事態になることも確かです。

文・図 田辺雄司(居谷在住)