民具補説 大型棒ばかりと小型棒ばかり 私が子どもの頃(昭和初期)は秤は棒ばかりが使われていました。棒ばかりの大型のものは20貫目(75s)まで量ることが出来ました。主に米俵、時には豆俵、小豆俵等を量るのに使いました。おもり(錘・分銅)も大きく重さは2貫目(7.5s)ほどもありました。 当時、この大型棒ばかりで量る物で一番重いものは米俵でした。米俵の規定重量は4斗入りで総重量17貫以上とされていました。 今でも忘れられないのは供出米を検査員が量る時の光景です。 俵を横にして結わいた縄が縦横に交わったところにカギを掛けて、棒ばかりの吊り縄に長さ1.5mほどの木の棒を通して2人で肩で担ぎ上げますと検査員が分銅を右左に少しずつ動かして秤の棒が水平になると目盛りを読み取るのでした。この時に無作為に選んで量ったものが規定重量よりも少しでも軽いと、他のすべての俵を量ることになるので心配なものでした。 また、重量検査の他に米質の検査もありました。俵の米を取り出す刺し器は長さ30p余りで検査の場合は俵の左右に刺しこんで米を小さな箱に入れて更にまた浅い皿に入れて念入りに調べるのでした。また、昔は米を2、3粒歯で噛んで砕き、乾燥度を調べたものでした。 その外、米の中に籾が混じっていると何度も刺して調べるのでした。刺し器は俵に直角に刺す検査員と俵の面に沿うように刺す検査員がいました。後で分かったことですが俵の面に沿って刺すと籾の混じっている確率が高いということでした。それは、米を俵に詰めるときに籾は表面に浮いて外側に押しやられるような状態で俵の面に近いほうに寄ってしまうからです。 こうして、俵の面に沿って差し込んで取り出し籾が3粒以上あるとどんなに米質が良くても等級が下がるのでした。昔は、千石(傾斜したふるいの上端から玄米を流して米とぬかにふるい分けたり、穀粒を ふるい分けたりする道具)でふるい分けたので籾の混入も避けられず、ずいぶん神経を使ったことでした。 少し横道にそれましたが、次に一貫目秤の小型棒ばかりについて記したいとおもいます。 秤の棒の長さが80pほどでしょうか。量るものを下げるところに小さなカギと細い4本の鎖でつり下げられた金属製の皿がついていました。小型秤は、4s未満の小型で軽いものを量る時に使われました。コンニャクを練るときにコンニャク玉の目方を量ったり、ソバを作るときに山芋の目方を量ったりしたものでした。また、蚕の繭玉を量ることもありました。 このほか中型の棒ばかりもありましたが、一般の家庭にはなかったように思います。一貫目秤で何回かに分けて量ることで用が足りたからでのでしょう。 今でも忘れられないのは、祖父が富山の薬売りにキハダの小木を切り皮をむいて乾かした物をこの小型秤りで量って売った時のことです。祖父がキハダの皮の代金を受け取り銅貨をジャラジャラと信玄袋の中に入れるときに、「おまえも手伝ったから駄賃だ」と言っていくらかのお金をくれたときのうれしさは今も忘れられません。 文・図 田辺雄司 (居谷在住) |