昔の算盤-2 
 
    
 
 
  石黒の落合の旧家の近世の古書、古文書の目録作りを1週間ほどかけて、ようやく先刻、終えたところだ。
 そのおり、最後の箱の中から高さ2pほどの細長い箱が出てきたので小さな掛け軸でも入っているのかな、と思いながら蓋を開けてみると算盤が現れた。実の部分が算盤で蓋は算盤を保護するためのものであった。地(下)の珠が5つのものは、筆者の父の時代に使われていたのものであったが、意外なことにこの算盤は、天(上)の珠が2つあった。
 WEB上で調べてみると、算盤は室町末期に中国より伝わり、江戸時代まではこの「地-5珠・天2珠」の形式が長く使われていたとのことである。明治時代になって、天珠を1つ減らした天1珠と地5珠の五つ珠(いつつだま)の形が普及し、この時代は昭和初期まで続いた。
 ちなみに、4つ珠利用の提案は江戸時代中期にすでにあったが定着はしなかったという。
 しかし、時代とともに、だんだん4つ珠そろばんが認知されるようになった。そして1935年に小学校での珠算教育が必修となった際に、地の1珠が取り除かれて「天1珠・地4珠」の現代のそろばんが作られるようになったということである。

 ところで、右上の写真をみると「升、斗、石、十」の単位の記入が見られる
(上写真)。穀物とくに米が諸税の基本であった時代には、算盤の使用される場面は年貢などの計算も多かったであろう。のみならず、そこでは取引の相手を納得させるためには視覚的な機能も重要となる。具体的には、4つ珠算盤は繰り上がるときに暗算で繰り上げてしまうので視覚的に確認できない。時にはごまかされたような感じを持たれかねない。私見ではあるが、その点、天2つ珠、地5つ珠は、暗算で繰り上げる部分を視覚で確認の上、繰り上げることが出来るという長所があったのではないか、などとも考えられる。
 いずれにせよ、当時の算盤は、計算のスピードだけではなく、紙を使わないで正確かつ取引の相手も納得できる計算手段としての機能が重んじられたことは確かであろう。       
(文責-大橋寿一郎-2017.10)