マサカリ(鉞)と矢 
 
 
 
   
 石黒では早春、残雪のあるうちに燃料とする薪づくりをした。たきぎとしては、山の斜面に生える低木を芽吹き前に切り取って径30㎝ほどに束ねたものと、雑木、主にブナナラの大木を切って長さ50㎝ほどに切り分けて、マサカリで割ってつくるものがあった。石黒では前者を「ボイ」、後者を「ワッツェ」と呼んだ。
 このワッツェづくりで主に使ったのがマサカリであった。しかし、直径が40㎝以上の大木になると長さ50㎝ほどに切り分けて直接にマサカリを打ち込んでもなかなか割れなかった。 こうした大木の場合は、まず、鉄製の「矢-箭」と呼ばれるマサカリの刃のような形をしたものを鉄のハンマーで中心より周囲に近い所に打ち込んで5~6個に大割りをしてからマサカリで適当な太さに割った。2本の矢で足りないときには、適当な割り木片を打ち込んだ。
 平らな雪の上に輪切りにした大木を基部を上にして置いて、矢をハンマーで満身の力を込めて打ち込んだ矢の全体を打ち込んでも割れない場合は少し離れた線上にもう一本の矢を打ち込むと大抵は割れたものであった。ただ、枝の基部の幹はなかなか割れなかった。このようなところは、手でもてるくらいの大きさのものはそのまま燃料とした。(※上の写真の矢は筆者が使っていたもの)
 このように丸太のままの薪を石黒では「クイゾ」と呼んで、そのまま囲炉裏に入れて燃料とした。大きなものは2~3日にわたって燃やすことができた。
 また、大きすぎて持てないものは、矢を3本も打ち込んで割ることもあった。矢はその場でブナ材で適当な大きさのものを作って使うこともあった。
 マサカリは、使い慣れないとヨキに比べて刃の幅が狭いため柄のつけ根が木に当たると柄が折れることがあった。筆者も柄を折って父親に怒られたことを憶えている。
 ブナ林の若葉の下、残雪の上でのマサカリを使った薪割りは、重労働ではあったが、今思い返してみると気分爽快なものがあった。また、あちこちから聴こえてくる「カーン、カーン」という薪割りの音は早春の村の風物詩でもあった。
 ちなみに、現在では薪を燃料にする家もごく少なくなったが、薪割りも、油圧式の薪割り機が使われるようになり、マサカリを使って薪割りをする人もいなくなった。筆者も森林組合から1日借り受けて使ってみたが、その威力には驚いた。
 
 
 ※上左の矢と右のマサカリは筆者の父親の代から使ってきたものである。
 このマサカリは、山小屋を建ててから何年も使ってきた。一度も柄を折ることなく今も健在であるが、筆者にはマキワリをする必要も体力もなくなった。
 マキ割りのやり方とともに「木もと竹うら」という言葉を父に教えられたのは中学生の頃であった。竹は先端から、木は根元の方から刃を入れて割るという基本的な事であった。

 4月から5月初旬に、1m余の残雪の中、若葉の美しいブナ林の中で終日マキワリをした壮年期の記憶は今となっては忘れがたい思い出である。
 (2017.4.26)