板山の不動様の祭りの思い出
                  大橋定一郎
 私が小学生の頃(昭和20年代前期)お盆の16日には板山の不動様の祭りが毎年行われ奉納相撲もありよく出かけたものであった。
(板山の不動尊は、昔から近郷近在の人々の信仰も厚く安置された石仏はその数の多さから、何度数えても数が合わないという言い伝えがあった)
 3、4年生のころは、私たちの村から嫁さんをもらった他村の夫婦が墓参りに帰省していて、その婿さんが私たちを連れて行ってくれた。今考えるに終日嫁さんの家にいるのも退屈であったので板山の不動尊まつりに出かけることにしていたのであろう。
 板山までは約2時間ほどかかった。道は村から西側に上流をもつ落合川沿いに作られた幅9尺(3m)ほどの道であったが、道沿いにはその川から用水を引いて耕作していた水田があったので道はよく整備されていた。
(この道は落合村出身の大橋幸夫村長の時代に寄合から落合経由で東頸城郡浦川原に通じる道路として開削されたものと聞いている。また、現在の嶺坂を通る道路がなかった当時はこの道を使って馬や人の背で米などを浦川原駅まで運び、浦川原からの荷物も駄賃取りによってこの道を運ばれて来た)
 真夏の炎天下、帽子もかぶらずに、ミンミンゼミアブラゼミの鳴き声を耳にしながら、先頭の大人の足に遅れまいと必死に歩いたのだった。

  (筆者の家の後ろのこの道が竹平まで通じていた
 不動尊に着くとすでに恒例の寄り合い相撲が始まっていた。この相撲には落合など石黒から出場する人もいなかったのでそれほど興味はなかった。出店もあったが私たち子どもの楽しみは近くの竹平村の店で買い物をすることだった。そんなわけで、不動様にお参りした後しばらく相撲を見てから、板山の池に行って地元の青年たちが泳いでいる様子などを見てから引き返し竹平の店に向かった。当時、私たちにとって板山の池は話に聞く海のように大きく想われた。
 ゴールデンバット
 
 店に着くとサイダー、ラムネやアイスキャンデーなどを買って飲んだり食べたりした。森永キャラメルや明治キャラメルなど今でも目に浮かぶようだ。
 サイダーを飲んでアイスキャンデーを食べると、キャラメル一箱の他に、私は父親に上げる巻きたばこをいつも一箱買って帰った。当時は刻み煙草の「ききょう」などが主で巻きたばこは贅沢品であったので買って帰ると父親は帰省客に勧めたりして上機嫌であった。巻きたばこの名前は、たしか「ゴールデンバット」か「新生」であった。
 その日は、お盆の最中であったので私たちは、お目当てのアイスキャンデーやサイダーを飲むと帰路についた。帰り道は緩やかな下りで歩き易かった。

           
 村の墓場
 家に帰るとお盆の御客でにぎわっていた。夕方には家族と帰省客と一緒に揃って落合川近くの村の墓場にお墓参りに行った。ヒグラシの鳴き声とともに70年も昔の墓参りの光景が今も懐かしく思い出されます。


(長岡市在住