法政大学学術紀行研究会高柳町調査報告(1975−昭和50年)

            高柳町石黒の民間伝承
大野地区


1.村の歴史伝承と組織
 250年前に開かれたと伝えられるこの集落で比較的古い家は「文三郎」、「東」、「西隣」という屋号をもつ3家らしい。しかし、3家とも祭礼や水利についての特別な権利は持っていない。
 当集落の組織についてみると、戦後は5軒の重立ちを中心にして5班に分かれていた。戦後になると28軒が隣組と呼ばれているいくつかの組に分かれていた。
 現在では、1〜4班という3〜5軒からなる班によって構成されている。昔の重立ちは、財産家であったが、現在の班長は回り番である。しかし、葬式の時は、全戸の人達で協力をして行う。

2.諸集団
@青年会
 5年前まで組織されていた。15才から25才までの男女であるが、女性は結婚すると脱会する。主な活動は、鎮守様の祭りの時に、幟を立てたり提灯を飾ったりする。また消防団をかねていた。

A常会と年始について
 地区の相談事があるときには公民館に全戸の戸主が集まった。
 また、正月には「年始まわり」と言って、本家の戸主は全戸を、分家の戸主は本家をはじめ親戚をまわりながら酒の飲む習慣があった。現在では公民館に全戸の戸主が集まって共同年始を行うようになった。

Bその他
 新しく組織されたものに婦人会と老人会がある。老人会は、60才
以上の人達で組織し、春と秋に講師を呼んで仏様の話を聞いたり、お経を唱えたりする。

3.労働慣行
@共同労働
○道普請 
 春と8月7日に各家から1人ずつ参加する。都合の悪い場合は他人に頼むか、出不足分3,500円払う。

○雪踏み
 上石黒まで、生徒たちの登校前に行う。各家が順番に出るが、その日の雪の状態により人数を決める。

○屋根葺き
 5、6年前まで地区に共同のカヤ場があり、屋根葺きをする家があると各戸で1人ずつカヤ刈りからカヤツキ(屋根葺き)まで手伝う。
 まず7月9日に「カヤ場なぎ」といってカヤの間の草取りをする。11月5日頃にカヤ刈りを2日間、そしてカヤそい(運搬)を2日間、カヤツキを2日間、無償で手伝う。
 昔、同じ家で数年間に2回カヤツキをする家もあった。それに対して40年間も屋根葺きをしない人もあるので不公平なので一年間に2軒とした。神社のカヤ葺きがあったときには一般の家のカヤツキは行わなかった。

A労働交換
○イイ
 田植え、田の草取り、田起し、稲刈りの時に、親戚、近所間で行う。ただし毎年相手が異なる。
○スケデマ
 分家が本家の手伝いを無償ですることである。本家はスケデマのお礼として12月にトウドヨビ(雇人呼び)をしてもてなす。

4.信仰伝承
@村の神社
 黒姫神社で、祭りは4月15日と8月20日である。4月の時は、各家で御神酒を神社に上げに言った。8月は作祭り。

Aお講
 28日を目やすにして毎月1回行ったが、今では12月にやるだけである。全戸が参加し宿は回り番である。掛け軸、花立て、ロウソク立て、鐘などを使用するが、その管理は宿にあたった家で行う。

B 禁・占・呪
○死の忌
 死者が出た家では「死の汚れた人は神社に行ってはならない」という理由により一週間は神社に行ってはならない」といわれ決していかなかった。また、生臭いものも一週間食べてはならないことになっていた。
 忌明けを「ダンバライ」といい、坊さんが来てお骨を墓に納め、供えてあった花を焼いた。

○産の忌
 お産をした者は、21日間お宮に行ってはならない、忌あけを「オビヤがあける」という。

○雨乞い
 雨の少ない年には地区の人達が7月4日、9月4日に黒姫山の途中まで御神酒を持って行き「とうか、雨を降らしてください」と祈った。

○天気占い
 1月3日に木を12本適当な長さに切り、囲炉裏で焼き、横に並べておく。左から順に1月〜12月とする。白くなった木の月は晴れの多い月で、黒くなった月は雨の多い月とした。

法政大学学術紀行研究会高柳町調査報告(1975−昭和50年