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※旧暦1803年1月28日→新暦1803年2月19日 |
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Ö
↑
わらじの購入
※花田村 |
※地改→紛争になっている土地を見聞すること。
※多七家出についての文書
→112-
※太助一件雑用帳→112-
※花田村→現在の曽地地区の一村
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山中発
28日
与板
2月
1日
出雲崎
2日
荒浜
3日
Ö |
※1月28日に山中を
※つまかけわら→シブガラミのことではなかろうか
※記載はないが出雲崎代官所を訪れたものであろう。
※2月1日は荒浜で一泊
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上輪
柿崎
Ö
潟町
4日
Ö
黒井
高田
荒井
Ö
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※高田へ向かい北国街道に入る。
※北国街道(北国脇往還)→中山道追分と北陸道高田を結ぶ35里(140km)、信州を横断する道。
道筋は高田→荒井→二本木→関山→野尻湖→牟礼→善光寺→丹波→坂城→上田→田中→追分
この道は、裏日本と表日本を結ぶ重要な道で、佐渡の金山からの金の輸送、関東と北陸の物資の輸送路、善光寺参拝の信仰の道として利用された.→現在の国道18号線がほぼ本筋に沿って通じている.
※高田宿→北国街道-中山道追分宿から分岐点。
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Ö
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二本木
5日
Ö
関山
牟礼
6日
丹波島
Ö
善光寺
坂城 |
※野尻宿は信越 国境に位置する重要な宿場。
※牟礼宿→上越市 旧・牟礼村(むれむら)
※丹波島宿→慶長16年に設立された宿場町。善光寺詣での最期の宿場で犀川を控え「丹波島の渡し」があったことなどで参拝者や旅人達が多く利用した。
※坂城宿(坂城町)。
ゆるやかな坂の上に鍵の手状に町が続き、旅籠や 遊郭が軒を連ねたと伝えられるが 現在は道筋や民家にかすかな面影を残すのみ。 |
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7日
上田
田中
Ö
追分
8日
沓掛
臼井
Ö
9日
安中
倉賀野
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※追分から中山道に入る
※中山道→中山道は江戸日本橋から京都三条大橋まで結ぶ。草津では東海道で合流する。道中67あるいは69宿とする。追分で北国街道に分け入る
※中山道 追分→安中→倉掛→高崎→深谷→上尾→大宮→浦和→本郷
※上田町→長野県東部にある市。県内では長野市、松本市に次ぐ規模の都市。
※田中宿→田中宿(たなかじゅく)とは、長野県東御市にあった北国街道の宿場
※追分宿→北国街道との分岐点で「追分」の名の由来。旅籠屋、茶屋、商店も多く栄えた宿場。民謡追分節の発祥地。
※真田紐→帯びをはじめいろいろな荷物を結わえるために使われた。
※安中宿→中山道六十九次のうち江戸から数えて15番目の宿場。現在の群馬県安中市
※倉賀野宿→倉賀野宿は、江戸日本橋から12番目の宿
江戸時代、京都(朝廷)から日光東照宮へ幣帛を奉納する勅使が通った道として発展する。 |
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新町
Ö
本庄
Ö
深谷
10日
坂下
Ö
熊谷
(馬代)
鴻巣
上尾
11日
戸田
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※新町宿→現在の群馬県高崎市新町にあたる。最も遅くできた宿であったが天保の頃旅籠43軒もあった。
※本庄(宿)→現在の埼玉県本庄市に当たる。中山道の宿場の中で最も人口の多い宿場。利根川の水運の集積地として栄えた。
※深谷宿→現在の埼玉県深谷市にあたる。深谷宿は中山道で最も大きな宿場、旅籠が80余あり遊郭もあった。
※武州→武蔵国の略。現在の東京都、埼玉県及び神奈川県東部。
※坂下(宿)→現在の地番は三重県亀山市関町坂下。かつて難所・鈴鹿峠を控えた宿場町として賑わった。
※榛沢郡→(はんざわぐん)武蔵国にあった郡。かつて埼玉県にあった郡だが大里郡と統合して消滅。
※熊谷宿→現在の埼玉県熊谷市にあたる。昭和20年の太平洋戦争熊谷空襲で焼け往時の面影は少ない。
※熊谷のことを「くまがえ」とも呼ぶ。
※鴻巣宿→現在の埼玉県鴻巣市に当たる。旅籠58軒。雛人形特産地として有名。
※上尾宿→現在の埼玉県上尾市にあたる。江戸から約10里、最初の泊まりの宿場として栄えたがが安政7年の大火等で往時の面影は少ない。
※戸田(宿)→戸田の渡しとして有名。幕府は架橋を禁じ明治8年に初めて橋が架かった。
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Ö
11日夕
到着
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※板橋宿→中山道1番目の宿場同時に川越街道の起点でもある。現在の所在地は、東京都板橋区本町、および、新宿、板橋1丁目、3丁目にあたる。
※五つ半→午前9時ごろ
※四つ→午前10時ごろ
※九つ半→午後1時ごろ
※「十三日四つ時地頭へ・・・」からの文意から見て折角上京したが初日はすげない対応を受けているようだ。
※こしかけ→待合所。城中や藩邸などで供回り物の控え所
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※七つ半→今の午前5時および 午後5時ごろ。
※出茶屋→宿場および峠やその前後で見られ、これらを「水茶屋(みずぢゃや)」「掛茶屋(かけぢゃや)」と言い、街道筋の所定の休憩所であった。
※ばん五つ時→午後8時ころ
※四つ時→午前10頃
※七つ時→今の午前4時および午後4時ころ。
※祝儀→使用人などへの心づけ。
※呼び出しを受けて登城したが、その件については既に内済と聞いていると、こ日も軽くあしらわれたようだ。
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Ö |
※湯銭が8文
※中飯代14文
※人形を3個買い求めているが代金は12文で1個の値段は湯銭の半額ほどのつつましいもの。
※髪ゆえ代が28文
※こも→こも編みの雨具であろう。 |
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Ö
板橋
浦和
大宮
鴻巣
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※2月23日に帰途、板橋で昼代を払った記録がある。 |
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深谷
吹上
倉賀野
高崎
金古
布施
Ö
浅貝
二井
三つ又
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※高崎より三国海道に入る
※三国街道
長岡-摂田屋-榎峠-小千谷-浦佐-五日町-六日町-塩沢-関-湯沢-三俣)-二居峠-二居-浅貝-三国峠-永井-猿ヶ京-相俣-須川-布施-塚原-中山-横堀-北牧(きたもく)-金井-渋川-金古-高崎→中山道に合流
※ふせい宿→布施宿であろう。
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Ö
湯沢
六日町
長岡
小出
小千谷
Ö
与板
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※長岡迄舟代→六日町から長岡まで下り船を利用するのが常であった。長岡-六日町間15里の街道を半日間で下ることができた。
※越手村→小出村であろうか。
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※かげすずり→かけ(欠け)硯か。
※かうかけ→こうかけ→手足の甲に掛けて日光やほこりを避ける布で旅装具として用いた。
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※水かんな→意味不明
※ちょうな→民具編参照←クリック
※かとり→意味不明 |
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※本郷→現在の文京区 |
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制作中 読み下し・備考文責 大橋寿一郎 |
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