HPへのコメントに限らず皆様同士のコメントもどうぞ! 2011.2〜 バックナンバー2011へ |
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HP作成ご担当者殿 この一年、石黒通信のご提供ありがとうございました。TV 天気予報では新潟 方面は、お正月三が日は雪とありますが良いお正月をお迎え下さい。 私の住んでいる兵庫県明石市は、今日11時頃10分位この冬2回目の小雪 が舞いましたが晴れたり曇ったりの天気で、明日からのお正月は晴れが続くとの 予報です。 私ごとですが、先日、岡野町に居る叔父さんから柏崎のお酒「越の誉れ」が届き ました。米山の水と越後の米で作ったお酒です。明日、元旦は「越の誉れ」を 戴き新年を祝うことにしております。 来年も石黒通信で、お住まいの皆様のお元気な活動情報と、黒姫山山麓の 豊かな自然の情報をお願いします。 ありがとうございました。 2012.12.31.1945i 中村 忠雄 編集会 大橋寿一郎 石黒通信編集会の皆様へ はじめまして。 こちらのHPから、昔の集落図や昔話、風景写真等を出力し、入院していた母に見せてあげました。 石黒地区で産まれ育った母にとって、とても懐かしかったようで、「ごんぺが載ってる〜、良作が載ってる〜」と、興奮しながら見ていました。 昔話も「これ知ってる」と言いながらも、何度も繰り返し読んでいました。 母は、先月80歳で亡くなりましたが、最後まで、故郷の話をしていまし、その切っ掛けを作ってくれたのが、こちらのHPでした。 ありがとうございました。 石黒通信、いつまでも続きますよう、陰ながら応援させていただきます。 また、機会があったら、石黒まで行ってみたいと思っています。 旧姓 大橋ハルの娘より 2012.12.27受信 メールいただき。、うれしく、有難く拝見いしました。 今は亡きお母様が、冊子を、また貴方様の暖かい思いやりでHPも見ていただけた事本当にうれしく思います。大橋ハル様とは集落名をお聞きしないと分かりませんが、できれはお母様の思い出もお聞きしてHPに載せたかったですね。 小生も75歳で後期高齢者となりましたが、なんとしても、皆様から後々見ていただけるだけの内容のHPにするまで生きて努力を続けるつもりです。 新潟は今は毎日ように雪降りで、終日パソコンに向かい腰痛と戦っておりますが、このような御便りを頂くと俄然元気が湧いてきます。定年退職後、一筋に故郷石黒の記録を残すことに微力ながら努力してきたことが報われたような満たされた気持ちになります。 ありがとうございました。これからも何卒よろしくお願いいたします。 是非また時々、ホームページの感想などお願いします。 寒さ厳しい折から、どうぞご健康に留意され佳き新年をお迎えください。 取り急ぎお礼まで 編集会 大橋寿一郎 HPでは皆様のご努力のお蔭で、連日、石黒情報を楽しく拝見させて頂いています。
過日、従兄弟の三十三回忌の法要があり石黒を訪れて来ました。 過疎化という言葉は最近よく耳にする言葉ですが、大野や落合が3軒しか残っていないと聞かされたり、実際、この目で確かめてみるにおよんで、石黒もここまで来ているのかと胸を痛めたことでした。 電化製品が整えられ水道の蛇口を捻れば水がでる生活。窓の外を見ない限り都会と変らぬ生活、柏崎市街まで30分という環境の中で何故?と思ったのですが「雪ですよ、雪」と言われ、雪には苦労させられた身としては納得のほかありませんでした。 神社を参拝し、かつて小学生ながら家を代表して道普請に出たり「んな〔お前〕は鎌を持ってついて来るだけでいいすけ」と言われ、母と肥桶を背負いジャガ芋、大根、薩摩芋などを作った畑、夜水番の記憶の場所等々を訪ねるべく歩いたのですが、全く様変わりしており、お地蔵さんだけが白い布を纏われ僅かに昔を思い出すよすがとして残っているだけでした。疎開でお世話になったイワカタの家の跡も藪の中でした。 かなり上まで登り、観光道路と見まがうばかりの道を上石黒へとたどり、懐かしい旧郵便局、黒姫神社の石段を目にしたときは涙の出る思いでした。80数段を登り、昔日の祭風景を思いながら、さて降りる段になってやはり足がすくんでしまいました。 あれから60数年、小生も76歳になっておりました。 嗚呼! 取り留めのないことを綴ってしまいました。 ご健勝にてHPの編集をお続けください。 東京 小野島淳さん 2012.10.21受信
今年の夏はお盆を過ぎてなお、あのように辛かった猛暑がこの頃はフッと恋しくなってきました。石黒HPのお陰で居ながらにして故郷の様子がわかり、石黒の人々のお達者姿が掲載される度に元気をもらいました。水不足で心配された稲作も無事に収穫できたようでよかったです。11月には又、カラムシ街道が掲載されるのを今から楽しみにしております。 過疎化が進む故郷も新緑や空気や水など、きれいな環境と美しい自然に囲まれての日々の暮らしのお陰でしょうか、皆さんがお元気なのと、ご高齢の方々の仕事ぶりには本当に驚いてしまいます。 私事で恐縮ですが、昨年の3・11福島原発事故は大きな波紋を投げかけておりますが、見えない不安を抱えながらの暮らしは、常に何かに取り囲まれているようで正直言って心地よい日々ではありません。ですから同じような事が再び起こらない事を心から、ただただ祈り願うばかりです。 昨年の冬は、石黒も豪雪でご苦労をされたでしょうから「今年は程々にしてお手柔らかにお願いしますネ」この想いが天に届くといいですね(笑み) またこの場を借りて田辺雄司さま、昭和初期の暮らしなど、何時も貴重な寄稿を有難うございます。その後の体調は如何でしょうか。「病に伏しても文章を書くつもりです」という意気込みを私も見習わなければと思います。 石黒在住の皆さま、法人組合の皆さま、石黒にゆかりの皆さま、故郷と石黒HPを通して、何処かで皆が繋がっているように思えるのは気のせいでしょうかねぇ?これからの季節に向けてどうぞ皆々様もご自愛くださいませ。 福島 大橋洋子(HP編集委員) 2012.10.19受信
ホームページ「石黒の昔の暮らし」の編者にお会いして 幸いなことに、私は昨年晩秋(2012年)帰省時に本ホームページ「石黒の昔の暮らし」の編者にお会いすることが出来た。ご多忙中、無理なお願いをしたにも関わらず編集者(責任者、協力者)の方々にご快諾頂いた。編集者の方々は、石黒村での小中学校時代に大変お世話になった先輩と同級生であり、屈託のない会話をさせて頂いたことに感謝している。 私は本ホームページの立ち上げだけでも大変立派な偉業であり、関係者のご努力に敬意を表していた。しかも、その後も短期間で充実感のある豊富な内容に仕上がっていく姿に、眼を見張るものが多く、感服させられ通しだった。本ホームページについては、最近、国内のみでなく世界各国で愛読者が激増しているとの嬉しい朗報も紹介されている。これらは、すべて日頃の編集諸氏のひたむきなご努力の賜物と考えている。 そこで、今回は雑談の中で拝聴した本ホームページ立上げ後のお話しとして、編集者の方々が足を使い地元(民や動植物など)を主役としたタイムリーで的確な取材をされている背景など(ほんの一端に過ぎませんが)が伺えたので、ご紹介させて頂くことにした。 石黒の昔の生活に関わることは、数少なくなっていくご高齢者のお元気な内に何とかまとめたいと、出来るだけ優先し、お年寄りのご都合に合わせ一人ずつ訪問しお話を伺っているとのことである。お年寄りに書き物でと言うわけにもいかず、お茶飲み話の中からの取材も多いようである。(農作業に関わることや雪の中の生活の知恵などは、かけがえのない貴重な体験話として興味深く拝読させて頂いている。) 自然界の動植物の観察は、石黒の自然は豊かで、春夏秋冬を通して研究・観察課題が多く、ほぼ日課として一件ずつの掲載を目標に取りまとめておられるとのことである。(石黒には、こんな貴重な植物があったのか。昆虫も沢山おり飛んでいる様子をもっと良く見ておけばよかった。カワセミ・アカショウビンなど魅せられるものも多い。それぞれの項目に付記されている石黒に目線を置いた編者コメントが実に興味をそそる。無知を恥じながらも奥深いふる里であることを誇らしく思う。) 四季を通しての田舎の行事や諸情報は、事あるごとに現場に赴きその時折りの状況が写真入りで紹介されている。時間的な制約がある中での取材も多く、並々ならぬ隠れたご苦労が察せられた。(掲載情報は内容も的確で写真類の出来映えも良く、兎に角、素晴らしいに尽きる。積雪おろし、道普請工事など懐かしい言葉と共に田舎のタイムリーな四季情報が得られ、その時々の田舎の生活が手に取るように分かり、帰せずしてふる里を満喫できるのが何より有り難い。) 本ホームページの立ち上げは「今、自分たちの時代に立ち上げなければ、貴重な石黒地区の史実が無になる」と数年前に関係者が責任を感じ一致協力して成されたと聞いている。時が経ち、次世代の人々がこのホームページの優れた業績を再認識し、大喝采をする日が必ずあると確信している。 石黒地区は、春夏秋冬、かけがえのない美しい大自然に囲まれている。しかし、田舎の村道のことである。何時も登り下りのある坂道がつきもので、情報収集には一服の多い道中になるとのことである。精神面もさることながら、肉体的には更なる負担がかかっていると思われた。お話を伺えば伺うほど、そのご努力とひたむきな姿勢には、頭の下がる思いがした。 本ホームページから得られる貴重で豊富なふる里情報は、何物にも代え難く感謝感激している。一方、同年齢代の身として、編集に関わる方々には、殊に、ご健康に留意され体と相談しながら長続きさせて頂きたいものと切に願っている。 愛知 大橋末治さん
〔兵庫 中村 忠雄さん 2012.4.27受信〕
〔石黒居谷在住 田辺勇司さん 2012.03.22受信〕
〔兵庫 中村 忠雄さん 2012.02.08受信〕 新しい年を迎えたと思ったらもう小正月ですね。時の流れが早く感じられるのも歳のせいでしょうか。 インターネットで故郷の映像を見せていただき皆で楽しんでおります。カラムシ街道まつりの日本舞踊を見て、ふと思い出したのは私が小学校の頃だったでしょうか、生家であるあの家で旅役者一座の芝居を見たことでした。また、昭和27年の頃には大相撲の巡業もありましたね。私の家には当時、大関であった玉の海の他10人ほどの力士が泊まり、大関の腕にぶら下がったことなど懐かしく思い出します。屋号「はつかびろう」には琴錦、「いんきょ」には若乃花と、上石黒と下石黒の家に分散して泊まりました。これらの力士がその後の相撲界の中心となり活躍されたことが、私の相撲ファンとなるきっかけでした。 生家も今は兄が守っていてくれますができればこの先もずっと大切にしていってほしいと願っています。ごらんの通りもう百年以上たった古民家ですがしっかりと風雪に耐えて建っていて驚いています。あの家は私の曾おじいさんと孫じいさんとその弟さんで造ったとのことです。 近年、たまに帰郷しますと生家の昔の話を兄から聞いたり、また千葉に住んでいる叔母さんから私の知らなかった話を興味深く聞いております。とりわけ、亡き母のことを聞くと、苦労も多かったと思うのに愚痴ひとつこぼすことなく私たち大勢の子どもを伸び伸びと育ててくれたことに今にして感謝しています。 また、今でも昔と変わらぬ自然豊かな故郷、石黒を持っていること、いつ帰っても皆さんが温かく迎えてくださることを本当に幸せだなあと有り難く思っております。 そして、このように、石黒の歴史や昔の暮らしをインターネットで拝見できることをすばらしいことと感謝しております。 こちらは雨も降らず乾燥した毎日ですが、石黒は雪の日が続いていることと想います。どうぞ、皆様、お体を大切にお過ごしください。 (東京 奈良ヨシノさん 2012.1.15受信) 353号線の小岩トンネルの動画資料を石黒のご先祖さん方に想いを馳せながら見ています。 「その内あの山にトンネルを作って、柏崎に行くようにするんだそうだ・・!」 という村人の会話を子供の頃に何度も聞いたものです。 移り変わりとはいえ、叶うことなら何としても私達のご先祖さんにこの風景を見せたい「観てもらいたい」とつくづく思います。 真冬でも車が走る光景など、私達でさえ感動しますから村の先人たちが目をパチクリしながら驚いたり、喜ぶ姿や会話を想像すると楽しいです。そして又、故郷を離れて長い年月が経った今、故郷を発信する石黒HPを観ながら、人それぞれに多様な想いに浸りながら、ご覧になって居られるのでしょうね。 「長年の夢と希望であった小岩トンネル」とってもきれいでした!! 年表も、昭和と平成が繋がったことで移り変わりが実感出来て好感度抜群ですねぇ・・・!! (福島 大橋洋子 2012.1.14受信) 新年明けましておめでとうございます。 HPを観させて頂いております。クリスマス頃から雪が降っており板畑では 雪の中の生活に入ったことを知りました。 HPを観るたび親父の郷里の様子が大変よく分かり、私が幼少の頃親父が 板畑の生活や民話を語ってくれたことを思い出しています。 方言のコーナでクリックすると親父が時々口にしていた方言とイントネーションが親父の語りにそっくりなので楽しくなってしまうことがあります。 前回、そちらを訪ねたのは2009.6.6〜7でした。今年3年ぶりに行ってみようかと思っております。その節はよろしくお願いします。 頂いたメールに、平成の年表作りとありますが膨大な資料の収集と整理、分析検討の作業でしょうね。HPを楽しみにしております。 これから、真冬の時候となりますので無理なさらずHPのお仕事をお願いします。 此方、の元旦は午前中は快晴、午後から曇りです。この冬は雪は未だです。 メールありがとうございました。 (名古屋 中村忠雄さん 2012.1.1受信) あけましておめでとうございます。日ごろ「HP石黒の昔の暮らし」をご覧いただ きありがとうございます。いつもながら中村様の父上の故郷石黒への思いに感激しております。今年再び石黒を訪れられるご予定とか、是非お会いしたいものですね。 「平成の年表」は制作中で草稿段階ですが、あえてアップし皆さまからの助言を頂戴したいと思っている次第です。肝心の石黒・高柳関係の事項については高柳事務所を訪ねて資料を調べて来たい予定しております。 こうして、HPにコメントをいただくことが、編集会の何よりの励ましとなります。ありがとうございました。 バックナンバー2011-2011.12へ |