HP 石黒の昔の暮らし | |
HP「石黒の昔の暮らし」について 制作者 大橋寿一郎 HP「石黒の昔の暮らし」は、2004年に冊子「石黒の昔の暮らし」の出版後、直ちに立ち上げた。今年の5月で14年目に入ったことになる。 いま、振り返ってみるに、冊子の編集時同様、ホームページ作成にあたっても、ほんとうに多くの方々にお力添えをいただいた。 まず、石黒在住の皆さんをはじめ石黒にゆかりのある多くの方々から、温かい御支援と協力を頂いた。 とくに、編集協力員としては、PCを駆使でき写真撮影に優れた技術を身につけられた大橋政栄さんと奥様の御協力をいただいた。とくに、画期的な試みと秘かに自負している「石黒の方言-音声版」を作成できたことは御両人の協力の御蔭であった。 その他、石黒の行事、四季のビデオの撮影などでユーチューブ掲載の動画資料を撮影していただいた。 また、同じく本サイト編集協力員の福島在住の大橋洋子さんには、ホームページをネット上にアップした直後から今日まで毎日更新事項に目を通して頂き、文章や画像のチェックに留まらず編集方針についても貴重な御意見を多く頂いた。 なお、居谷に在住されていた故田辺雄司さんからは、膨大なる御寄稿文を頂戴した。当時の暮らしについての指導と機微に触れた体験を執筆していただき、貴重な資料として掲載できた。これらの中には、民俗学的見地からも価値の高いものも多い事と思う。今にして思うに、田辺様は、正確な記憶力と文章表現力、さらに優れた作図力など、たぐいまれなる能力の持ち主であったと改めて痛感している。 一方、HP制作の技術的な面では10年間を通じてPC教室で懇切丁寧な御指導を頂いた磨伊先生との出会いなくしてはここまでの制作は不可能であった。同時に教室の皆さんからもいろいろ御指導をいただいた。週1回のPC教室は5年以上に及び、先生のこの分野の深い知識に基づいた温かいご指導は終生忘れることはできない。 また、千葉在住の今泉啓さんからも制作にあたり貴重なアドバイスを頂いた。 なお、阿部正昭様からは、PCを職場で使い始めた1994年以来トラブルが生じるごとに御指導を受けてきた。ワープロからPCに切り変えた当初は全く戸惑うことばかりであったが、なんとか切り抜けることができたのは偏に阿部様の御蔭であった。 また、内容に「石黒の動植物」の項目を加えたことは、専門的知識も経験もない自分には無謀なことに思われたが、石黒の「昔の暮らしとのかかわり」の視点からどうしても諦めることは出来なかった。 そこで、市内の動植物についての優れた専門知識をお持ちの先生方に御指導をお願いした。チョウと蛾については荻野誠作先生、キノコについては布施公幹先生、草木は田辺喜彬先生、トンボについては佐藤俊男先生に御指導をお願いした。 しかし、自分は、唯、頁を増やすことばかりにとらわれ、各先生方から十分な御指導を受けないで今日に至った。是非これから見直しをして疑問点について御指導を仰ぐつもりである。 こんなわけで、今のところ動植物に関する記述内容には誤りも多々あると思われるので閲覧の皆様にはあらかじめ御承知いただきたい。 なお、植物の解説欄の専門用語の理解のためにとりあえず、 「HP石黒の植物」解説のための用語の手引き」を作成中である。現代ではその都度WEB上で検索し調べることができるが、より簡便に、かつ故郷石黒の特性についても記載できれば便利であると思っている。 また、野鳥の頁制作では、初めの頃に岩野道郎さんから沢山の画像を拝借し掲載した。今も野鳥の撮影は容易ではなく未だにお返しできずにいる写真もある。 幸いなことに、2014年に地元の野鳥研究家の長谷川正和氏と出会い、現地指導を何度か受け、氏撮影の写真や情報も使わせていただいている。 それから、「石黒の歴史」制作での古文書解読では市の古文書講座で新沢圭大先生を始め故桑原紀昭先生、根立俊樹先生、今井和幸先生、池島嘉和先生外、その他講座の先生方、図書館の皆さまに御指導をいただいた。 なお、古文書学習を始めて10年がたち、ようやく村文書の解読が曲がりなりにもできるようになった。また、先年、小堺良司さん、大橋定一郎さんの仲介で念願であった石黒村庄屋の田辺重順家の古文書もお借りすることが出来た(2015.10.13)。未熟な古文書読解力によるものであるが、今後、読み下しを掲載していきたいと思っている。 なお、今後、ふるさと石黒の歴史に興味を持たれた方々のために少しでも役立てばと願い「石黒の古文書を読むための手引き」の編集も試みている。現在、HPに掲載した古文書は百点余であるが、主として石黒の文書を中心に石黒の歴史、近世近代の歴史年表と関連付けたものである。 このように今思い返すと、実に多くの方々からお力添いを頂き、この「石黒の昔の暮らし」が曲がりなりにもホームページの体をなすに至った事が分かる。まさに、人との出会いが人生においていかに大きな意味を持つものかを改めて痛感するところである。 言うまでもなく、家内をはじめ家族の理解と協力なしには出来ないことであった。 また、筆者のなき後のサイトの維持管理については、皆様の貴重な寄稿文もあり大変憂慮するところであったが、幸い。2015年11月に国立国会図書館関西館で保存しWEB上に提供していただくことが決まり誠に有り難い事であった。 今、振り返ってみるに、私は、1999年に定年退職してから「石黒の昔の暮らし」の冊子とHPの制作に、まさにのめり込んで今日まで来た。 ちなみに計算機を叩いてみると、少なくともデスクワークとフィールドワークを合わせて5万時間余を費やし、撮ったデジタル写真の数は100万枚に及ぶことが分かる。 しかし、デスクワークにおいては、PCやHP制作上の操作技術のトラブルに費やした時間が5分の1にも及んでいる上に、フィールとワークにおいても、撮った写真の8割が使いものにならなかった。 しかし、本サイト「石黒の昔の暮らし」は、冊子同様、郷土史的な記録を目指したものではなく、あくまでも故郷を愛する皆様が楽しみながら広い分野、そして歴史的に長い視点から故郷を知ってほしいという願いから制作しているものであります。 私は、難病もかかえて何とか現状維持に努めてきました。出来る事なら後3、4年は、今日まで頂いた皆様の御協力に恥じないホームページに近づけることに最期まで努力したいと決意を新たにしているところであります。 2017.6.15 制作責任者 大橋寿一郎 冊子「石黒の昔の暮らし」は、石黒在住の方をはじめ多くの方々のご協力を得てようやく発刊にこぎつけました。心より厚くお礼申し上げます。
○HP制作協力委員 大橋政栄 大橋洋子 大橋トシオ ○昔の暮らしの指導・資料提供 田辺雄司 指導助言者 PC指導助言 阿部正昭 HP制作助言 磨伊純聰 今泉啓 江森三都子 HP石黒の動植物指導助言 荻野誠作 田辺喜彬 布施公幹 岩野道郎 佐藤俊男 長谷川和正 HP石黒の歴史 古文書助言 大橋剛哉 桑原紀昭 根立俊樹 今井和幸 池島喜和 |
|
冊子 石黒の昔の暮らし(2004.4月出版) | |
冊子「石黒の昔の暮らし」の編集の構想は、私が退職前から温めていた構想であった。また、それは、急激に進んだ過疎化と年々進む村人の高齢化の中で、石黒在住の方々のみならず、離村された方々の願いでもあった。 私は冊子づくりの構想を、同郷で従兄の大橋信哉さんと、故郷にて区長をされていた関矢政一さんに打ち明けた。三人は年齢も同年代であり、子どもの頃からの遊び仲間で気心の知れた間柄であり、話は即座にまとまった。 そして、各集落の区長さん方から編集特別協力委員になっていただいてスタートしたのは平成13年(2001)であった。 その後、何度か、石黒の私の山小屋(好日山房)に集まり構想を練った。その結果、昭和時代を中心とし、郷土史という専門的なものではなく、離村した方々や在村の誰もが楽しく読める本にすることで合意した。 昭和から平成になってすでに15年が過ぎ昭和初期のことを語ることのできる人々は少なくなっていた。 幸い、私が文通をしていた居谷集落の区長、田辺雄司さんと頻繁に文通を交わし膨大な資料を頂いた。田辺さんも、当時の暮らしを思いだして書くことに生きがいを感じておられほんとうに有難い事であった。 また、下石黒の大橋和平さんは夫婦で農業されていたが昔ながらの農作業など、実際の様子を見せていただき映像記録に多く残すことが出来た。そのほか、石黒在住の多くの方々から当時の暮らしの様子についてお話を聞かせていただいた。 また、昭和の頃の婚姻や出生などの調査については村の区長をされていた関矢政一さんから特にお骨折りを頂いた。大橋信哉さんからは「石黒の俗信」「石黒の山菜料理」「昔話」などを担当頂いた。 幸い、パソコンが普及し始めた頃でもあり、仕事の関係で数年前からパソコンを使っていたことが幸いして、最初から冊子の体裁を作りつつ編集を進めることができた。中村印刷さんに依頼し出版まで4回ほど全文を印刷をして校正を重ねた。最後は表紙のデザインも行い、何軒かの本屋を巡り構想を練ったことも楽しい思い出である。 こうして、出版の見通しがたったところで、在村の方や離村された方々宛てに案内状を出して注文をあらかじめとって、それをもとに450部ほど印刷した。発送作業には村の方々にも協力をしていただき皆様にお届けすることが出来た。 その後、高柳町の「じょのんびだより」を編集されていた大橋勝彦さんに勧められ、新潟出版文化祭に応募したところ優秀賞を受賞した。さらに、日本自費出版コンクールに応募し、地域文化部門賞を受賞したことは、誠に過分なることであった。 最後に、在村の皆さまや離村された方々から喜んで読んでいただいているということは、私たちにとっても何よりの喜びであります。先年、離村された方の一人が「もし家が火事になったときはこの本だけは持って出たい」と言われたという話を聞いて、編集会にとってこれ以上の有難い言葉はないと思っております。 出版責任者 大橋寿一郎 はしがき (冊子) 大橋信哉 それは確か3年前のことだった。寿一郎さんから「石黒の昔の暮らしの様子は、私たちの世代で消えていく運命にある。何とかして次の世代に伝えたいものだ。それは私たちの世代に課せられた責務ではなかろうか」という提案があり、昔の暮らしの様子をまとめることにした。 昔といっても編者の経験・記憶をたどることからスタートしたので、敗戦の年、昭和20年(1945)前後に絞り込んだ。 この年は、激動の昭和史の中でも革命と言える大きな節目の年で、政治経済、社会は言うに及ばず、価値観の大転換の年だった。 山深い石黒の地にも時代の波はひたひたと押し寄せ、人々の暮らしぶりも変化していった。わけても、昭和30年代に入ると加速度がつき急激な変化が見られた。 今日では、かつての石黒の暮らしは新しい世代にとって、化石のような存在となり、すっかり忘れ去られようとしている。 そこで、少しでも多くのことを次の世代に伝えたいと願い、年中行事、農作業、衣食住、方言を中心とする編纂作業を進めたがだんだんと欲が出て来て、俗信、伝説、昔話なども加え、更に当時の住宅配置図なども追加した。 石黒村は、7つの集落からなり、集落によって、習俗にかなりの相違も見られたが、本文では編者の出身地の下石黒の比重が高くなったことは否めない。 この小誌が石黒とゆかりのある人々にとって、昔をしのぶよすがとなり、また、次代を担う世代が石黒の地に一層の愛着を持ってくれる契機となるならば望外の喜びである。 終わりに編纂特別協力員をはじめ多くの方々のご協力にあつくお礼を申し上げます。 忘れじな 残雪の森あざやかに 萌葱で覆うぶなの息吹を ぶな芽吹き 光り輝く早春の 春告ぐ鳥に胸踊らしむ 山や川 自然を師とし友として 児らたくましく生を学べり 2004.4 |
|
あとがき(冊子) 関矢政一 本書の編集にあた多くの方々にお願いをいたしましたところ快く御協力をいただき厚くお礼申し上げます。 本書は民俗誌としてではなく、石黒出身の方々に昔の暮らしを懐かしみ子や孫に伝えていただくこと願って、編集委員および御協力いただきました方々の記憶に基づいて編集したものであります。 編集にあたり感じたことは、方言や年中行事が家々により微妙に異なっていることでした。たとえば、小正月の祝い膳のご飯に小皿をかぶせおいて、ついた水滴の数でその年の作柄や健康を占うことなど同一集落でもやる家とやらない家があることなどです。その他、方言の発音等でも編集委員3人の認識に違いが見られるものが少なくありません。 このことは、それぞれの家で親から子へ、子から孫へと伝えられて、その家の伝統となり、そこから家族の絆が培われてきたことを物語っているのではないでしょうか。 昨今は核家族化により家族の絆も希薄になり、いろいろな歪んだ社会現象が起こっていることも何となくうなずけるような気がします。 また、「年中行事」「日常の暮らし」「子どもの暮らし」とまとめてありますが、読み返してみてこれらに共通して感じることは、当時の人々の暮らしの底流には、神であるか仏であるかわかりませんが、人間の力を越えた大いなるものに対する感謝と祈りがあったということです。 自然に対する考え方も今日とはかなり異なっていたのではないでしょうか。最近では科学の力で自然のすべてを支配しようという人間の驕りが目立ちますが、それは悲しいことだと思います。 また、「自然との共生」という言葉をよく見聞きしますが、そこにも人間の思い上がりを感じないでもありません。自然とは私たちにとってもっと大きな存在であり、私たちはその中で「生かされている」という考え方をすることが大切であり、このままでは、人間の未来に不安が感じられます。 NHKが、数年前に「21世紀に残したい風景」という特集番組を放映していますが、私は本書の編集に関わる中で21世紀に残したいものとして、我々の子どものころの家族のあり方、自然とのかかわり方をあげたいと痛感した次第です。 2004.4 冊子編集同人 大橋信哉 関矢政一 大橋寿一郎 (冊子およびHP編集制作責任者) |