20240324 今から27年前、職場の研修誌に載せた「私の読書の思い出」の末尾に、私は「それにしても、今まで本が果たしてきた人間形成の一助としての役割をインターネットがどのように果たすことが出来るのかとても興味のあることでもある」と書いた。
 当時はインターネットの黎明期であり、職場ではワープロに代わりパソコンが使われるようになり、新しい時代の到来に多くの人が多大の興味と期待を持った。
 そんな風潮に一石を投じたのがベストセラー「インターネットは空っぽの洞窟」(クリフォード・ストール著)であった。著者はインターネットの限界を予言して、読者からそれなりの共感を得た。
 しかし、インターネットは、その後、驚異的な発展をとげ「空っぽの洞窟」を「宝の洞窟?」に変えてしまった。実に、当時、現在のスマートフォンの出現をだれが予想できたであろうか。
 最近は書籍の電子化が進み、文学作品のみならず種々の専門分野の論文なども充実しつつある。また、YouTubeなどでは、料理のレピシや園芸などは作業の動画を通して事細かに伝達してくれる。
 文学作品の音声版も自分のように老齢になり視力の衰えたものには有難いものである。今のところ希に読み違いもあるようだがAIの進化によりおのずから解決する事と思われる。
 私自身、最近は「読書」が「聞書」に変わりつつあるような具合である。文芸作品が主であるが時には哲学や宗教についても興味深く活用している。
 とくに、世界一の高齢化を迎えるわが国では、今後は文芸作品など「読書」より「聞書」が一般的になる可能性があるように思われるがどうであろうか。
 いや、広く学問の分野でも「目学問」同様「耳学問」が更に重視される時代が到来するようにも想われる。
 思えば、もともと哲学の元祖ソクラテス、仏教の元祖釈迦の思想も耳学問により伝来されたことも興味深い。

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