口留番所について
江戸時代、諸藩が自・他領を連絡する水陸の要所に設置した関所に類するもの。
御番所とも称し、藩境の警備のために旅人の出入りを検察し、物資の移出を監視することを任務としたが、幕藩体制の確立以降は特に後者の経済的機能に重点が移った。
口留番所では、通手形、切手、小札、改判などの許可証のある商品に限り藩外移出が認められその商品から口役銭、口留運上などを徴収したりしたが弘前藩三カ所では、明暦元年(1655)に米、大豆、農具、武具、金、銅など二十七種が藩外移出の禁制品に指定され、その後も品目の追加があった。
こうした傾向は、各藩共通するところで、物資の他領流出による藩経済の動揺を防止する目的から出ていた。
(国史大辞典-抜粋)
※高柳の場合、石黒村、門出村、栃ケ原村、山中村などは、他領に接していたため隣村とは領主が異なる所も多かった。そのために口留番所が置かれたという事情があった。
(編集会)
口留番所跡の番平屋敷にある石黒郵便局(上石黒)
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