HP「石黒の動植物」編集ノートから


    キチョウ



   ISIGURO NO DOUSYOKUBUTU

    Photo Bay Simo Yokote


夏が過ぎて秋風立つ頃から、身近に見られる昆虫がだんだん減ってくる。11月ともなると石黒の山道を歩いていて見かけるのはキチョウくらいのものだ。

キチョウは、年四〜五回発生し成虫で越冬するため、早春から晩秋まで見られるチョウである。だが、そのわりに名前が知られていない。

石黒在住の友人にキチョウについて尋ねてみると「黄色いチョウチョはよく見かけるども、まじまじと見たことはねぇなぁ」という返答であった。

私自身もホームページ「石黒の動植物」の制作を始めるまでは、キチョウの姿をまじまじと見たことはなかった。

特に、キチョウはとまっているときには二枚の羽をぴたりと閉じて一瞬たりとも開くことはないので羽〔翅〕の表はなかなか見ることは出来ない。

私は、昆虫図鑑で、前ばねの一部に黒い紋様のあることを初めて知った。そしてぜひ、映像に捉えようとカメラで連写したもののなかなか納得のいく写真は撮れなかった。

たった一枚なんとか羽の黒い紋様が撮れたのが次の写真である。

キチョウの幼虫の食草は、ネムノキやハギ類などの葉と言われるが、石黒で私が初めてキチョウの幼虫を見かけたのはヤマハギであった。 

それも、我が家の庭の一株のヤマハギであった。9月下旬に入った頃、そのヤマハギの周りを異常なほど沢山のキチョウが飛び回るようになった。

近づいて観察するとどうやら産卵するために寄ってくるのではなさそうだ。しばらく観察を続けると数頭のチョウが一つのハギの実に先を争うように止まる。飛び立ったとおもうと再びとまる。〔左写真〕

他にも数株あったがそこには一匹の幼虫も見られなかった。こうして数頭のチョウが一つのハギの実に争うように群れているのだ。「花ではないから蜜を吸うわけでもあるまい」。

けげんに思って、よくよく見ると、ハギの実とばかり思いこんでいたものは意外なことにキチョウの蛹であった。それにしても何とよく似ていることか。上の写真を見てほしい。向かって右の写真がハギの実で左がキチョウの蛹である。見事な擬態といってよい。

私は腰を据えて観察してみることにした。

今年は、9月の半ばを過ぎても残暑が続いた。私は日よけの山笠をかぶって閑さえあれば庭でキチョウの観察をした。裏の林でツクツクホウシが盛んに鳴いていた。

3日目までは、何事も起きなかった。ただ、蛹の色が黄色となり、さらに褐色を帯びてきた。

ところが、4日目の昼過ぎに観察に訪れると、いつもの群れは見あたらなかった。

そして、例の蛹は、と目をやると半透明の殻になり、その脇に交接した一組のキチョウがいた。

私は、これを見てハッと気がついた。この蛹はメスであり、寄りたかっていたチョウはすべてオスのチョウだったのだと。

どうやら、オスのキチョウはメスの蛹を判別できるらしい。〔それとも、蛹からオスを引き寄せる物質が分泌されているのか〕ちなみに、ヤマハギには他にも多くの蛹がついているがオスのキチョウが集まるのは特定の蛹、つまりメスの蛹だけだと分かった。


私は、何としてもキチョウが羽化する様子を見たくなった。

それで、ヤマハギの傍らにガーデンチェアを据えて再度挑戦することにした。時々、お目当ての蛹に目をやりながら本を読んでいた。

その日と翌日は、何の変化もなかった。3日目は、蛹の色が薄緑色から薄褐色に変わってきたことに気がついた。そして4日目になると蛹の色が透明感を増して中の成虫の羽が透けて見えるようになった。

私は、羽化は間近だと感じた。

だが運悪く翌日は雨となった。仕方なくその蛹のついたハギの枝を折って水を入れたコップに挿して仕事場の机のパソコンの横に置いた。

ここは観察に最適な場所であった。キーボードを打ちながら始終蛹に目をやることが出来るからだ。私はカメラを手元に置いてスタンバイ完了と待ちかまえた。
そして、ついに待っていたキチョウの羽化の時が到来した。

だが、思わぬ事態が生じた。蛹の背が割れてチョウが現れる時間があまりにも短かったのだ。

子どもの頃、よく観察したセミの羽化を念頭においていた自分は戸惑った。カメラをかまえる間もなかった。蛹の背が割れ始めるとスルリとチョウが出てしまった。一滴の液体が机の上に落ちた。おそらくこれが潤滑油だろう。

まるでオオマツヨイグサの開花の瞬間を見ているようだった。
あわててシャッターを切ったため写真もピントが甘くなってしまった。

次の写真が、その時、羽化の様子を撮ったものだ。

すっかり羽が広がるまでの時間は、せいぜい6、7分であったであろうか。私は何か物足りない気持ちだった。

それで、私は、その後も庭のハギのキチョウの観察を続けることにした。とくに羽化後のメスに交尾を迫る様子が見たかった。そして、たった一度そのチャンスを捉えることが出来た。〔撮影はできなかったが・・・・〕
そのメスは、羽が広がるまでは交尾を迫るオスを拒否したが、羽が広がると同時にオスの要求をすんなりと受け入れた。私は意外に思った。羽化後のキチョウが、羽を広げ空中を処女飛翔することなく交尾することが、今でも私には、何故か不自然な事に思われてならない

ある文献に「キチョウのメスは羽化後、2、3日間は求愛するオスを受け入れにくい。これはメスが交尾相手を選んでいるため」とあった。

この文献どおりとすると私が見たチョウのように羽化後すぐ交尾するのは例外的なことなのであろうか。

まだまだ、私には石黒のキチョウについて分からないことが多い。南方系の昆虫といわれるキチョウがほんとうに石黒で越冬できるか。越冬しているとするとどんなところで冬眠し、春には何月頃から現れるのか。是非、自分の目で確かめたいと思っている。

それにしても、自然の営みには神秘と不思議が満ち満ちている 


附   記

10月の半ばに、ダイモンジソウの花を撮影するために石黒川の渓谷に入った。

渓流を覆うハクウンボクの枝はたわわに実をつけていた。流れの縁に咲いたシラネセンキュウの花の白さが目にしみるようだ。

夏の川面を飛び回っていたオオカワトンボの美しい姿はすでになく、眠気を誘うようなカジカガエルの鳴き声もしない。早瀬の音だけが谷間に響く秋の石黒川だ。

渓流が大きく迂回して出来た小さな河原で十数頭のキチョウが吸水をしているようだ。カメラを構えて近づくといっせいに飛び立ったが数頭が戻ってきた。












写真を撮った後に近寄ってみるとそれは水に洗われた獣糞の残りであった。キチョウたちは獣糞の汁を吸っていたのだった。

※ホームページ「石黒の動植物」http://www.geocities.jp/kounit

    
  「じょんのびだより」2007冬号 掲載記事