出稼ぎ先より A
                         中村稔
 各地でお働きの皆様、雪深い故郷で留守を守っていてくださる皆様、それぞれお変わりなくお過ごしのことと存じます。
 ついこの間、お正月を内で楽しく過ごしたばかりと思っているうちに、早くも立春の声を聞き、何かもう春のような気がいたします。今年の冬は近年にない暖冬で仕事もやりやすい冬ではないでしょうか。
 私が、初めてこの会社にお世話になったのは9年前、その後ドルショック等で休んだ年もありましたが、昨年に続き同じ職場で働いております。この会社は豊田佐吉で知られている織機を造っている会社です。会社の中に、梱包の下請け会社が何社もあり、私たちはその下請け会社で梱包工として働いております。村の人たちばかり私と6人、元気で毎日を楽しく働いております。綿から糸そして織機まで色々な機械が造られています。
 組み立てられた機械は試運転され、検査に合格するとと再びバラバラに分解されます。そして塗装の仕上げや、さび止めの油がつけられて大小様々な箱に詰められます。そして世界各国に輸出されています。
 私たちの職場は梱包工場で、分解された部品を次々と箱に詰めています。国内ですとトラック輸送ですので簡単ですが輸出の場合は念には念を入れて部品の詰め忘れや、中で壊れるような詰め方は決してできません。一箱一箱に自信と責任を持てる仕事をやらなければなりません。
 昨年までは仕事も忙しく、休日出勤や残業、夜勤までやりましたが、今年は国内の紡績工場の相次ぐ閉鎖や不況の波が世界中に広がり、本社は土、日曜は休み、まして残業などほとんどありません。季節工も今まで多勢入っていましたが今年は私たちの他に長野から3人だけです。
 ですが、不景気の壁は厚く、まだまだピンチに追い込まれそうです。注文がさっぱり入らないそうだとか、減産減産で昨年に比べ相当少なくなっています。※第一次オイルショック・戦後初のマイナス成長〔補足・編集会〕→昭和の年表
 本工の人たちは、これから先どうなることかと心配され暗い表情です。でも私たちは職場では元気で明るくそして楽しい毎日を過ごしたいと思っております。
   
 〔板畑在住〕 昭和50年2月 千葉県より 広報誌「たかやなぎ」