昔の暗渠排水
                           田辺雄司
 私たちの居谷集落では、集落の西側と東側に昔から多くの地滑りが発生してきました。そのたびに田畑を失いながらも村人はそこに田畑を復元して、生活を維持してきました。
 このような地滑りが発生すると色々な土質が混ざり合うので復元した田畑は秋になると一枚の田の稲でも全然肥料分のない場所は早々黄色く色づき肥料分のあるところは青々としています。ですからはじめから余り肥料を多く使用せず稲の色合いを見ながら追肥をして稲作りをしたものでした。
 それから、地滑りのため田のクロや中に湧き水が少しずつですが出て冷水ですので湧き水の周りのかなりの面積の稲が育ちません。5aくらいの田んぼならば半分は育たないこともあるのです。
 そこで、湧き水の出るところから畦の外まで50〜60pほどの深さの溝を掘り暗渠排水路をつくりました。
昔の暗渠排水

 その構造は下図のように、まずヨシ(アシ)の乾燥したものを直径20p位の束にして溝の底に置いてその周りにまっすぐなボイ(低木)を束ねて入れます。さらにボイやヨシの間に土が入らないように杉の葉をぎっしりと並べて土をかぶせるのでした。これで冷水は田の外に導かれて畦の外に出ることになります。こうすることによってその田の稲は正常に育つのでした。こうした水の湧き出るような場所の田は日照りになっても用水の心配は余りありませんでした。
 現在の暗渠排水には素焼きの土管と籾殻が使われるようですが、昔にこのように、それなりの工夫がなされたのでした。