豆打ちの思い出
                            田辺雄司
 豆の種類も色々で、大豆〔おおまめ〕、小豆〔こまめ〕、青豆、黒豆、鞍掛豆など色々ありました。当時は石黒では主に小豆を田の畦や山の斜面に植えました。田の畦には塗った後あまり固くならないうちに棒で穴をあけその中に3粒ずつ蒔いたものです。
 畑は、鍬の角で穴を掘りそこに種を蒔き、鍬で土と草を削りながら土をかぶせていきました。これを「タネヒネリ」と呼んでいました。親指と人差し指、中指を使って豆の間隔を若干あけるようにして蒔く様子からこの呼び名がついたものでしょう。
 夏になると、豆の間の草取りを3回くらいやっているうちに実も稔ってくる。畦豆は稲刈りの始まる前に豆こぎをしてハサに掛けたり少しであれば根を上にして3把ずつ立てて乾かした。
 乾いた豆は、家に持ち帰っておいて、豆打ちの日は、朝から日当たりのよいところに、今度は豆を上にして並べて乾かしました。
 豆打ちには、トマグチ〔玄関〕など場所を決めて、豆が部屋から飛び出さないようにヨシズやムシロで周りを囲って、中央に餅つき臼を横にして置きました。その臼に、両手に持った豆の束を叩きつけるのでした。すると、豆はバラバラという音とともにサヤから出て飛び散るのでした。下に落ちた豆は、サヤも混じっているので集めてカゴドオシの中に入れて揺さぶると豆は通しの穴から落ちてサヤだけかご通しの中に残るのでした。
 豆打ち作業は、とてもほこりが立って汚いので手拭で口と鼻を覆ってやっていました。豆のほこりは稲のほこりと違って茶色でもくもくしていました。
 それから、カゴドオシにかけた豆は、次にトウミにかけて良い豆とシイナ豆〔不稔実〕を選別しました。こうしてようやくマメ打ちの仕事は終わりました。
 私の家では、豆打ちの日の夜には囲炉裏で豆煎りをして黒砂糖を溶かした中に入れて甘くして食べたことが今でも懐かしく思い出されます。