くんたん焼き
                           田辺雄司
 くんたん焼きが石黒で普及したのは戦後しばらくたってからでした。それまでは「クンタンヤキ」という言葉すら誰も知りませんでした。
 それまではモミガラの大半は家の近くで焼却してしまい、その灰を使用するということもありませんでした。昭和の半ばになってヌカガマと呼ぶ炊飯器が普及するまではヌカは十分に利用されることはなかったのです。
くんたん焼き

 しかし、昭和30年頃になって苗代作りが改良され、あちこちでモミガラをくんたん焼きにしたものを苗代の種籾が隠れるほどに覆って、その上に油紙をかぶせる保温苗代が普及しました。それまでは、どこの家でも「水苗代」といって、特に保温をすることなくその年の気温まかせの苗代作りでした。
 保温苗代になってから苗床は少し固くなり、苗も太く見るからに豊作型の苗となりました。
 くんたん焼きの器具は最初は自家製で、石油缶に直径2pほどの穴をあけたものにトタンで作った煙突を立てて杉の葉を入れて着火しその上にモミガラを煙突の先が隠れないように山なりに積むのでした。するとじょじょに熱せられて紫色の煙がもくもくと煙突から出てきます。夕方になると紫色の煙が低くたなびいて、いっそう春の暖かさを感じさせる村の光景となり、春の風物詩のひとつでありました。
 煙の量が少なくなり紫色から白っぽく煙に変わるとクンタンができあがったしるしであり、一斗缶をかきだして,炭化したモミガラをある程度広げ直ちに水をかけかき回しては火が消えないところのないようまんべんなく水を掛けるのでした。
〔※いうまでもないが、良く消さないためにクンタンに着火すると灰になってしまう〕
 すると、翌日は水も切れて乾いていますが、さらに半日ほどかき回して良く乾かしてから袋に詰めておきます。
 その後、くんたん焼きの用具〔1mほどの煙突のついたラッパ型のもの〕が農協より売り出され、どこの家でも1、2個買って秋のうちにクンタン作りをするようになりました。
 このクンタンと油紙によって春の夜の寒さを絶って苗の育ちを促進する育苗は画期的なものでした。苗が3pほどに伸びた頃に、油紙を取り除いて、黒いクンタンの間から伸び出た鮮やかな緑色の早苗を見るのは感動的なもので今も目に浮かぶようです。油紙を取り除いたあとは、すぐに水をはりました。この育苗法が普及してからは、米の収穫量もかなり向上したものと思います。
 その後、クンタンは野菜作りにも使われ、私の経験ではナスやトマト、サツマイモなどの生育に良いようです。
 また、余談ですが、くんたん焼きをするとき直径10p長さ20pほどの生木をモミヌカの中に入れておきますと立派な木炭ができあがったものでした。