家族でのカヤ刈り
                          田辺雄司
 当時(昭和30年代まで)村には、「カヤだのもし」というものがあって、共同カヤ場のカヤを毎年2軒の家でもらうのでした。カヤ場は西と東に分けられており、クジを引いて東西を決めるしきたりでした。
 しかし、どこの家でも、カヤだのもしのカヤのほかに少しでもカヤを多く刈って、出来るだけ葺いてもらう屋根の面積を多くするために家の者だけで毎年カヤ刈りをしていました。
 家族でのカヤ刈りは、10月末から11月の初めにかけて天気のよい日におこないました。場所は自分の土地や村の共有地に出かけて刈りました。
タイマツは、長いカヤは三つ折り普通のカヤは二つ折りにしたものを両手で一握りほどに丸めて3ヶ所しばったもの(上図)

 当時は現在とは異なり、ほとんどの山の草は牛馬の餌や干し草のために刈られ、その上カンノ畑も多かったので近くの山ではなかなカヤ刈りをする場所などない時代でした。
 ですから、遠山にでかけてカヤを刈り、適当な立木に縛りつけておいて春に運んだり、比較的近い所有地で刈った場合は家の近くに運んで家の付近の杉の木に押しつけるようにして囲っておくのでした。
 また、1把でも多く刈って多く葺いてもらうためにトウド(当働)を頼んでカヤ刈りをする家もありました。
 屋根は葺き替えばかりではなく、「サシオコシ」と呼ぶ部分的な修理も行う必要がありましたので、カヤは常に貯えておくように努めたものでした。サシオコシは雪で抜けたり、自然と腐ったりした場所だけに、タイマツと呼ぶカヤの束を差しこんで補修する方法です。修理を要する面積が広い時には沢山のタイマツを並べてナリ(屋根のカヤを固定するための細木→日常の暮らし・他 屋根普請参照)を当てて屋根裏に縄を通して締めて固定しました。ナリは細くて長くかつ粘りのある折れにくい木、おもにナラブナマンサクなどが使われました。
 カヤ刈りの頃には、遠くの山々はすでに雪におおわれ真っ白でありました。家族総出でカヤ刈りをしたことも懐かしく思い出します。
 このカヤ刈りが終わると、村の男衆のほとんどが、次々と出稼ぎのために村を離れていき、1年のうちでもっとも村中が淋しい思いのする時期でありました。