粉挽き
                           田辺雄司
 昭和の初めのころには、粉挽きは大型石臼を使い男衆三人ほどで行いました。仕掛けは下の図のように、天井の根太に径10cmほどの穴をあけた板を打ち付けて、その穴に石臼の取っ手の先を差し込んで回します。
 粉挽きの頃は、もう冬の前触れのあられが雨に混じる時季でしたが当時は山ノノコにモモヒキで、大人たちは汗を拭き吹き一日中石臼を回したものでした。
 女衆は最初は目の粗いフルイの中で、粉をうまく回しながらゴミや籾かすなどを取り除きます。2回目には目の細かいフルイにかけて落ちたものはよい粉、フルイに残ったものはまだ挽けていない粗米なのでまとめておいてもう一度石臼にかけて挽いたものでした。
ヤマノノコ

 どこの家でも挽いた粉は翌年まで食べなければならなので土蔵の中か、家の中の一番涼しいところで保管しました。粉は5斗入れの背負い桶の中に少しずついれては横槌でドンドンと叩きながら隙間のないように固くつめます。こうして詰めると空気の入る隙間がなくなるので長く保存が出来たのでした。
 自分の家の粉挽きが終わるとトウド〔手伝い〕に来てもらった家にユイ返しに行ってお互いに助け合って粉を挽き冬に備えたものでした。
 その後、発動機を使って大型石臼を回す設備も普及して随分楽になったものでしたが、出てきた粉をフルイに掛ける仕事は今までどおりでした。

 こうして挽いた粉を使ってコナモチをついたり、アンボ〔アンブ・チャノコ〕を作ったり、こねたものを小さくちぎって団子汁にしたりして食べました。
 今にして思うと、柿の実を入れてアンボや団子が一番甘くて美味しかったように思います。入れる柿は渋いほど甘みが出たものでした。
 今では、あのような美味しい味のアンボや団子は食べることは出来ないと思います。