民具補説
                 バコウ(馬耕)
 私たちが小さい頃には、春になりますとハコモッコで氷った雪の上を朝早く土まきをしました。融雪を促進するためと客土が目的でした。
 ようやく雪が消えますと田の中の杉の葉などのゴミを拾った後、セオイカゴで堆肥(ウマエゴと刈草を積んで作った堆肥)を田に均一に入れて、三本鍬で田打ちをしました。田を多く持っている家ではトウド(当働−手伝い)を頼んで毎日朝から暗くなるまでやったものでした。
 田打ちの前には畔をよく削り、ネズミやモグラの穴を杵で畔を叩いてつぶしてから畔を塗る仕事がありました。この作業は水漏れを防止するため用水に恵まれない石黒では欠かせない作業でした。こうして畔塗りが終わると田は枠をはめたように整った感じになったもでした。
 田打ちは1回に一株か二株ずつ掘り起こし株を上にして、1人が5〜6株位の幅で打ち進むのでした。こうして全部の田の田打ちが終わりますと、田のクロ(畔続きの場所)の草を削ったり刈ったりしてきれいにしてから、田コギリの仕事をしました。
 田コギリは田に水をはって下半身が泥で汚れないように冬の間に作っておいた前マワシ(前掛けのように腰に巻く藁製の箕のの一種)をして打ち返した稲株を鍬で叩いてて細かく砕くのでした。その作業はお互いに調子を合わせてバシャ、バシャとおこなうのでした。こうすると水がはってありますので株についた土が細かく砕かれドロドロになるのでした。
 その後、私たちが小学校に入学する頃でしょうか、バコウ(馬耕)という道具が普及し始め、我が家では村一番早く松代の金物屋から買い、店の人がバコウを背負って来て実際馬にひかせて使い方をよく説明したことを憶えています。その時は村人が初めて見る道具なので沢山集まり、見物人に囲まれて馬は落ち着かず且つ初めての事なので田の中を走り回るのでした。バコウを使う人も初めての経験なので馬を誘導してバコウで掘り返した溝のなかに馬を入れて歩かせることが大変で苦労したようでした。
 こうして、バコウを使うことに十分慣れるまでは幾日もかかりましたが、その後2、3年でどこの家でもバコウが使われるようになりました。
                   文・図 田辺雄司(居谷)