我が家の濁酒づくりのこと
                            田辺雄司
 私の祖父は胃弱なのに大の酒好きでした。沢山は飲みませんでしたが毎日夕食には茶碗に一杯ずつ美味しそうに飲んでいました。
 濁酒のつくり方は家によって若干ことなりますが、私の家では、冬期は囲炉裏の隅に小さな桶(直径25pほど)の中に水を七割ほど入れ、白米を3〜4合入れて置くのでした。3〜4日たつと小さな桶の中の水の表面にブツブツと小さな泡が浮き出てくるのでした。祖父は「へええ(もう)いいようだな」と言って、それをよく洗ったザルの中にあけて米と汁に分けるのでした。それからその米を蒸かし鍋で蒸かします。そして県外の酒屋に出稼ぎに行っていた人からもらった酒粕を2〜3片お湯の中で溶かしたものを、ザルでこした汁に加えます。

  古文書-『酒作様之事」(高柳町山中村文書)→解読文クリック
 蒸した米は広げて熱を人肌ほどに冷ましてから汁を入れた桶の中に戻して再び囲炉裏の隅に置いておきます。
 冬の囲炉裏の隅も冷えますので夜は桶をぼろ布などで包んで保温をしてやりました。
 そして、一週間ほど過ぎますと、祖父は「ああいい匂いがしてきた、大丈夫だ」と言って、今度はよく洗った白米を3〜5升ほど蒸します。蒸しあがったご飯はとてもおいしいものでした。祖父はそのご飯で「ひねり餅」を作ってくれましたが、コチコチした歯触りだったことを憶えています。蒸した米を広げて熱をさましてから、分量に応じた水と麹を加えて、背負い桶の中に入れてきっちりと蓋をして茅葺屋の屋根裏まで背負い上げます。
 屋根裏には藁がぎっしりと隙間なく積んであります。その下の方を何束かを引き抜いて横穴のようにそこに背負い桶を収めて入口を藁でふさいでおきました。こうして5〜6日過ぎますと、私に提灯を持たせて屋根裏に上り酒の出来具合を調べるのでした。屋根裏全体に微かに酒の匂いが漂っていました。祖父が藁を取り除いて背負い桶の蓋を開けると傍らで提灯を持ってその場所を照らしている私の鼻にブーンと酒の強い香りがしたことを覚えています。 祖父はさっそく柄杓で茶碗に入れて、一口飲んで「「ああ、よくできたぞ」などと嬉しそうに言いながらうまそうに飲んでいました。
 こうして作った酒は毎日飲んで、八割ほど飲むと残った二割の酒に米と麹と水を加えて、また、藁穴の中に入れて発酵させるのでした。これを「又がけ」と呼んでいました。
 それから、夏季になると山の作場にある用水の横穴の中で酒造りをしました。横穴は温度が一定なので良くできると言っていたことを聞いたことがあります。
 祖父は、その横穴まで毎度取りに行くのが面倒なのでよく子供の私にその役を言いつけました。大きなヤカンを持たせて運ばせたのでした。それを夕方に言いつけられると林の中の山道は薄暗く気味悪く嫌なものでした。
 私も小さいころから祖父に酒を飲まされていたので、取りに行くと柄杓で少し飲んできましたが、帰ると祖父は「野郎、飲んできたな。うまかったろう」などというだけで叱ることはありませんでした。
 この祖父が現在住んでいる家を建ててくれたのですが、今もそこで暮らしています。時々、七十余年前の祖父のことを懐かしく思い出しております。
                 (居谷在住)