砂糖などの配給制度は、太平洋戦争が長期戦の構えを見せた昭和15年(1940)6月から、東京、大阪などの6大都で始まった。配給制は切符の提示によってのみ品物を購入できる制度である。
この制度は同年11月から全国で実施され、その品目は米の他、食料品、衣類などにも広く及んだ。
しかし、年を追うごとに物資が不足し配給所に切符や通帳を持って行っても品物がないという事態が発生するようになった。
さらに昭和19年11月以降は主要都市への空襲の被害が全国的に拡大し配給制は破たんし、状況は悪化を極め敗戦後にわたり、かつてない食糧難の時代となった。
僻村の石黒でも過酷な米の供出を強いられ、特に終戦の昭和20年は未曾有の豪雪で田植えが7月にずれ込むほどで不作となり、どこの家でも芋や大豆、粟、大根などの糧飯で凌ぐほかなかった。
(資料提供-田辺ウメノ 配給店-布施三平はエビスヤ商店)
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