テレビジョンの思い出

                             大橋洋子

昭和20年代後半頃、「その内にテレビジョンというものが出来て、映画みたいに映るんだってやぁ」と言う会話が、よく子供や大人たちの間で交わされていましたが、30年代にはその夢と幻のテレビジョンが部落に一台入ったのでした。
 「だんなしょ」と言われ、信望も厚かった家でしたので週に一度、家を開放して村の人たちにも見せてくれていました。当時「お笑い三人組」という番組があり、毎週見せてもらいに行くのをとても楽しみにしていました。
 
番組のある日は夕食を食べ終えると時間をみて、村の子供達や近所の年寄りがぞろぞろと宿の家に集まり、画面に集中して息を呑みながら見せてもらったものですが、当時の映像は白黒で、画面はチラチラ、音声はザーザーと、今では考えられないほど見づらいものでしたので、宿の人が一所懸命にダイヤルで調整してくれるのですが、チラつきや雑音はなくなりませんでした。

昭和40年代のテレビ

 30年代後半から40年代になって、ほぼ村中に普及した頃には、岡ノ町に高柳テレビ中継局が開設された事で、テレビの映り具合は以前より改善されましたが、今のような鮮明度には程遠いものでした。
 大人は夜番組の時代劇などを楽しみにしていたようで、近所の人が貰い風呂に来ていて、ドラマの時間が近づくと「オイ、そろそろけぇってテレビみよてぇ」と言うと「そんま始まるすけ、観てえぎゃっしゃいね!」と言われて、みんなで聞き耳を立て、目をさらのようにしてテレビにくぎずけになったものでした。

 現在のテレビの性能の進歩には目を見張るばかりですが、あの頃のテレビをなつかしく思うのみならず、なにかにつけて仲間が集い楽しんだ当時を古きよき時代であったとも思います。