車道開通の思い出
                       田辺ウメノ
 思えば、昭和27年9月〔当時中学校1年〕に、待ちに待った車道の開通式が学校を会場にして行われた。
こんな山奥の村に車が入ってくるなどとは夢のようにさえ感じられた。
 開通式には県知事〔岡田正平〕さんが来られるということで、その歓迎ぶりは盛大なものだった。役場支所の前に大きなアーチが作られた。周りを杉の小枝でしっかりと囲み、紙で作った大きな紅白の花や五色のテープでとてもきれいに飾り付けられた。
 学校の生徒は勿論、村民あげて日の丸の小旗をもって、沿道に並んで今か今かと待ち続けた。やがてエンジンの音がかすかに聞こえ始めるとみんなが「車は何台くるかなあ」「県知事さんはどんな顔の人かなあ」と話し合っていた。エンジンの音も高らかに、待ちに待った車の到着である。石黒で見る初めての自動車。
 知事さんはジープに乗って来られ、詰め襟の服に帽子をかぶって石黒入りされた。
車は徐行しながら観衆の前を通ると一斉に日の丸の小旗を振って「万歳、万歳」との連呼である。まさに最高潮。「初めて見る沢山の自動車の行列」「初めて見る県知事さんの顔」知事さんは真っ白な手袋を着けておられ、にこやかに大きく手をふって観衆の誠意に応えておられた。
 式典は学校のグラウンドで行われた。私たちは朝礼の時のように並び、区民も一同整列して厳粛の中に盛大な式典が始まった。来賓の方々のお祝いの言葉がたくさんあり、また道路開発にあたって並々ならぬ努力をしてくださった人々に感謝状や記念品がおくられた。学校では生徒の代表が県知事さんに向かって「ほんとうに有り難うございました。之までお力添えをして頂いたことに感謝します」という意味の言葉を述べた。
 式典が終わると私たちは紅白のお祝いの菓子をもらって車が初めて通った道路を歩いて家へ帰り、夕食後みんなで菓子を分け合って食べた。父は、菓子を食べながら「石黒もいいところになったもんだ。今まで肥料などを運搬するときは、険しい曲がりくねった釜坂峠を越えて門出まで往復したものだ。これからは思い荷物を背中で担ぐ苦労もなくなり、体に無理をしないですむようになるのでいいあんばいだ」と話してくれた。
 私はこの話を聞いて暗闇の中に日の光が差し込んできたようにさえ感じた。また、今まで車が通らないということで肩身の狭い思いをしていたことから解放されて石黒もきっと良いところになるのではないかと思った。

             
石黒校百年の歩みより