石油ランプの温もり 昔の生活のひとこま
                             田辺雄司
「ネラ、灯りがあるうちに、小便しりに早く来いそぅ」
馬屋の方で母の声がする。
 夕食の後、茶碗や鍋を洗った湯水を、馬のかいば桶に入れるため、カンテラをもって馬屋の前に行った母は、毎夜、座敷にいる私たちに声をかけるのだった。
 私たち兄弟3人は先を争って下方の戸をあけて板張りのニワに行くとカンテラを持った母が待っている。カンテラの薄明かりの中、かいば桶に頭を入れて湯水を飲む馬の頭がぼんやりと見える。
 用を済ませて、座敷に戻ると囲炉裏の火の明かりと、座敷の真ん中に下げられた石油ランプの明かりがあたりを温かく照らし出している。座敷のまわりは真っ暗な夜の闇に覆われている。

 祖父は囲炉裏の火に背を向けて「背中あぶり」をしている。昔から囲炉裏での背中あぶりは健康によいと伝えられ、特に年寄りの男衆が好んでやったことだった。
 座敷の石油ランプの下では、父が眼鏡をかけて万年筆で日記を書いている。その日の出来事を日誌に記すことは父の日課の一つになっている
 私たちは座敷の隣にあるくず布団の敷かれた寝間で、夜着をかけて寝ている。壁を隔てた馬屋ではときどき馬が動き回る音がする。

 静かな夜だ。耳を澄ますと家の脇を流れる川のせせらぎが聞こえる。ときどき、夜のしじまをやぶり、甲高いムササビの鳴き声がする。
(昭和の初め頃の暮らしのひとこま)