民具補説 湯タンポとアンカ 昭和の初めの頃は、冬の夜、地炉〔囲炉裏〕のカギサマ〔自在鉤〕にチャガマをかけて、クイゾ〔丸太のままの薪〕を突っつきながら、とことこと燃やしていた。 囲炉裏の周りでは、大人たちが夜なべ仕事のワラ仕事や縫い物をしていた。夜も深まり、チャガマの湯が煮立つ頃になると2、3個の湯たんぽにチャガマの湯を入れてボロ布で包んだ。
母は自分の布団にも湯タンポ入れておいた。幼い妹を抱いて寝ていたために夜中に何度も起きるため足が冷たくなるからだった。 当時の湯タンポは、ブリキ製(うすい鉄板、スズや亜鉛をメッキしたもの)のものが多かった。それに熱湯を入れて口を締め、布で包んで蒲団の中へ入れて足を暖めた。しかし、太平洋戦争が始まると金属類は供出させられたため、湯タンポも瀬戸物になった。〔もともと昔は瀬戸物の湯タンポであった〕 村では湯タンポではなくアンカを使用している人もあったが、アンカは熾〔お〕きた炭火を入れておくためひっくり返すと火傷をしたり布団をこがすなど夜中に騒ぎを起こす危険があった。それで、だんだん、湯タンポが使われるようになった。 私の祖父は冬にお客が泊まるときには湯タンポを用意すると共に、広いデー〔奥座敷〕は寒いので、火鉢に火を入れて暖めていた。〔デーの天井にはワラで編んだ干しモチや小型のカゴトオシに入れてつり下げた酒粕などが下げてあったものだった。干しモチは春から夏の頃に焼いて茶菓子にし、酒粕はドブロクをつくるときの素にしたり、焼いて食べたりした。〕 祖父や祖母は朝になるとその湯タンポのお湯で顔を洗うのが常であった。私たち子どもが、水が冷たいのでお湯を使いたいと言うと 「若い者がお湯で顔を洗うと早くシワができる」と聞かされたことを憶えている。 文 居谷 田辺雄司 |