茅葺き屋の雪堀り
田辺雄司
茅葺き屋の雪堀は、天気のよい日など気温が上がってくると屋根の所々の雪が自然落下し危険なので、除雪は朝早くから始めました。まずグシに上って雪を真ん中から割るようにして左右に落とすのでした。片側だけ落とすと雪の重みが片方だけにかかることを避けるためでした。
グシが終わるとその場所から3尺〔約1m〕余りの幅でコスキで屋根のカヤを傷めないように落としていきました。しかし、寒中に沢山つもると雪も固くコスキが突き刺さらないこともありましたがよほどでない限りは角シャベルを使うことはありませんでした。こうして上から順に屋根を1回り2回りと回って掘っていきましたが、だいたい7周りくらいで一番下〔軒先〕の最後の一回りの雪が残ります。
そこで今度は、後ろに下がりながら足もとの雪に切れ目のスジを入れて屋根の勾配に合わせてコスキを刺して押し落とすのでした。
茅葺き屋の雪堀は、一回目の雪堀りが一番大変でした。家周りの積雪が未だ少ないためタネなどは雪がないこともありましたので危険を伴ったからです。
こうして午前中に屋根の除雪を終わり、午後になると積雪が多い頃の雪堀では、家の窓という窓がすべてふさがるため、とりあえず座敷の明かり取りの窓をほりだしました。次に、ガンギの屋根が雪に弱いので、まずガンギを掘り出しました。しかし、雪を掘っても遠くに投げることは出来ないので、何回にわたって掘り進まないとガンギを掘り出すことはできません。ガンギを掘り出すと雪の重みでしなっていた垂木が元に戻る音が「ギツッ、ギツッ」としたものです。大屋根も同様でした。
ようやくガンギを掘り出すと、家の周りの雪を掘って屋根下の雪を除きます。この作業は屋根の除雪よりも労力のいる作業でした。まさに雪堀りで、それでも天気の良い日はよいのですが、吹雪日の雪堀は並大抵の作業ではありませんでした。
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豪雪の冬の家〔昭和38年〕 |
豪雪の冬は一晩に4尺〜5尺の雪が積もることも珍しくありませんでした。自分の背丈ほどの新雪は歩くこともままなりません。普通のカンジキをかけても雪の中を泳ぐような状態になるのでした。このような豪雪の冬は、毎日雪堀の連続で疲れ切ってしまいます。屋根下の雪は雪流しトヨ〔長さ4m〕を4枚にビニルの波板を数枚使って崖下まで流したこともありました。昔は、こうしたトヨもなかったのですからその労力は想像も出来ないものだったと思います。
近年は温暖化のせいか小雪の冬が続いていますので3mほどの積雪でなんとかやっていますが、4m以上の積雪になると老人の力ではとても除雪は出来ません。また、現在では豪雪の場合は重機を頼んで出来る場所は除雪してもらうことも出来る時代となりましたが、昔はほんとうに大変でありました。
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