ツギハギをした衣服の思い出
            
 昭和20年代の後半頃、大野では小学校低学年は冬季間だけ村の分教場へ通いましたが、通学には洋服の日もあれば縞の着物に縞のモンペ(腰ゴム入り)の日もありました。
 その頃は、ズボンやモンペなどは皆、ツギハギだらけの衣装をまとっていました。
 特に野良着など、汚れが染み付いて変色したり穴が空いた所は同じ場所を何度もツギハギをしてつぐ価値がなくなるまで履き尽くしました。敷布などは穴が空いても捨てずにとって置いて丈夫な所をつなぎ合せるとりっぱなシーツに生まれ変わりました。
 タビの裏も厚めで丈夫な布を選んで当て布をして綴じ付けましたがタビは裏地が元々頑丈なので針の通りが悪く針が折れたり手に刺さったりして根気のいる作業でした。
 夜具布団なども傷んだ所だけを新たに当て布をしてこまめに修理しながら使い切りましたので、端切れ布はどこの家でも粗末にせず大切にしまっておいたものです。
 30年代も中頃になると暮らしと共に、ツギハギは徐々に減りましたが、繕い物は女衆の仕事で、動き盛りの子供の繕い物など仕事は沢山ありましたが悪天候や夜なべ仕事にやるしかない状況の中で女の人は大変でした。
 家族の布団や着物など大物は、主に冬場の仕事でしたが、たまに雪堀の心配がないような日があると針仕事を持参で近所や知人同士が寄り集まって世間話をしながら針仕事に精を出したものでした。

   文-福島在住・大橋洋子