洗濯の思い出
                          
まだ洗濯機がなかった頃の手洗いは大変でした。古い記憶では手押しポンプでバケツに水を汲んではタライに移して洗濯板を使って洗っていました。
 昭和20年後半から30年代にかけて、生活改善という言葉が聴かれるようになり、山の湧き水をホースで引き込んで常にミズブネに掛け流し様式になりました。
 それからは、ミズブネからタライにヒシャクで汲んで固形の洗濯石鹸を擦りつけながら洗いましたが、冬場は寒さと冷たさで手先がかじかんで真っ赤になり痛くなるほどでした。
 それで囲炉裏のチャガマのお湯を洗面器に入れて手を温めたり、チャガマのお湯をタライに注し湯しながら洗いました。
 風呂場でスノコの床面で腰を折り曲げての姿勢は疲れ易く、立ったりしゃがんだり体勢を変えながらの洗濯は主婦にとって大変な仕事でした。
 農繁期や真夏以外は今のように毎日は洗濯をしませんでした、肌着類も3日4日に一度か、5,6日置きというような時代でした。それでも手洗いでは一度に多くを洗えない為、家族分を順送りに洗うので洗濯は毎日欠かさずにしました。
 真冬は、洗ったオシメは干す傍から凍り始めましたし、指先は赤くなり、乾くとアカギレが痛くてアンマッコを貼ったり巻きつけたり、冬の洗濯は本当に辛いものでした。
 昭和41年に漸く普及し始めた洗濯機は手前のハンドルを手で回すとローラーの間から、のしイカの様になって出てくる式でした。厚みがあると回すのに力が必要なのでローラーに挟み込む時に一工夫が要りました。また、ボタンも引っかかると割れたり千切れたりするので内側にするなどの配慮も必要でした。
 洗濯機は三種の神器の一つで、正にそれまでの生活を変えた三大革命の一つで、これを機に女性の暮らしも大きく変わり始めたように思います。
     文-福島在住 大橋洋子