昔のしめし(オムツ)の洗濯 昔(昭和の初め)は、どこの家にもシメシを洗う専用に小形のタライがありました。シメシは汚いということでみんじょ(台所)で洗うことはならず、夏季は近くの川や沢の水を使って洗い、冬でも家に隣接した雪だなの下で洗い、乾かすのも雪だなの中に竹の棒を渡して下げて干しました。 夏季でも家によっては日向に干すことはお天道様に申しけないと言ってわざわざ日蔭に干す家もあったほどでした。
そして、夜になると生乾きのシメシを両手にかけて囲炉裏で乾かすのでした。それも祖父の目を盗んでこそ出来ることで皆が床に入ってからの仕事でした。 そんな母の手は稲刈りや水仕事であかぎれが切れて血がにじんでいました。当時はあかぎれの薬もなく、母は、私たちに杉の脂を欠けた茶碗の中に採ってこさせて風呂上がりにあかぎれの傷口に塗っておりました。 家族の最後に風呂に入ってから、囲炉裏で温めた火箸であかぎれの傷口に置いた杉の脂を溶かしこむようにして塗っていた、石油ランプの明かりに照らされた母の姿を今も忘れられません。 こうして、母は8人もの子どもを育てたのでしたが、現在、生きているのは私を含めて3人だけになってしまいましたが、今でも当時の母の苦労を想うと涙が出てきます。 もちろんこれは我が家に限らずどこの家でも同様のことでした。中にはシメシにする布にも不自由する家もあったほどで、母がそんな家に前掛けの中にシメシ用の古布をいれて持って出かける姿を見た記憶もあります。 時代はその後、太平洋戦争と敗戦という激動を経て高度成長を遂げ人々の生活をすっかり変えてしまいました。私などは、その時代の変化をつぶさに経験した世代の人間のひとりであります。 それにしても、苦労であったオシメの洗濯が今では使い捨ての紙おむつとは何という変わりようかと、ただただ驚くばかりです。これこそ、お天道様の罰があたりそうな気がしてなりません。 田辺雄司 (石黒在住) |