虫干しの思い出
                           
 さずい(梅雨)も明け、毎日暑い日が続く頃に、母は、朝から家の前や家の中、土蔵の前などにナワを張り、土蔵の二階からタンスの引き出しを、そのまま運び出して着物などの衣類をナワにツルしたり、ゴザの上に広げたして干すのでした。高価の衣類は家のなかで陰干しをしたよう思います。
ケラ・キラ(ヤマトシミ)

引き出しの中には、たまに1pほどの白い魚のような形をしたケラ(ヤマトシミ)という虫がいるのを見つけると足でつぶしていました。
着物や男の服、袴などは特に虫に食われないように、ショウノウ(ナフタリン)を入れて再び土蔵の二階のタンスに戻すのでした。
 翌日は、今度は大箱という大きな箱から夜着、フトン、ノノコ(綿入れ)などを出して、やはりナワにかけて干すのでした。また、地面の上に敷物を敷いてその上に広げて干しました。
 私と弟は物珍しくて、フトンの上に転がったりして遊んでいてるところを祖母にみつかり、「フトンが汚れるいや、この野郎どもばっかしゃ」と竹箒で追い払われたものでした。
 これらの仕事はほとんど母1人でやっていたので今考えると重いフトンの出し入れは、さぞかし大変であったと思います。
 次の日には、干しても干さなくとも良いようなものでしたが、祖父が虫が食うと困るから一応干しておくようにというので、古い書き物のようなものなどをタンスの中からムシロの上に広げて干していました。
 和紙に筆で書かれ判子の押されたものでした。和紙の書き物はたしかに大分虫に食われていました。
 また、虫干しのときには土蔵の中から今まで見たこともない勲章やメダル、外国のお金らしいものや黒塗りの刀の鞘などがでてきたものでした。勲章を胸に下げたり、黒塗りの鞘に入った日本刀など腰にさしたりして遊んだことを憶えています。

 祖父の話では刀は大東亜戦争で供出させられたのことでした。いまでもちょっと惜しい気がします。
 虫干しが終わると夏の大掃除でした。気温の高い夏は冬に比べて煤が浮き出ているとのことで、年の暮れの大掃除と同じように暑いお湯で柱やサシなどを拭いたものでした。
 それが終わると、そろそろ、お盆前の家の周りの草取りが始まるのでした。


      文-田辺雄司 (石黒在住)