カラカサ、トウヨ等の思い出
                         
 昭和15年頃まで、学校から遠い集落の生徒は黒いゴムマントに朝鮮靴(爪先の円い短靴)を履いて通学していました。学校に近い集落の生徒はゴザ、あるいはガサガサという音を立てるヨウヨ(桐油合羽)などをかぶり、ほとんどの生徒が裸足で通学していました。
 運動場の入口に足洗い場があり、そこで大勢が一緒に足の泥を落として校舎に入るのでした。雨の日などは玄関の靴箱はほとんど空っぽでしたが、笠掛けの下はマントやカラカサや笠のしずくで下に水が溜まるほどでした。
 当時は、コウモリ傘などは先生がかぶっていくだけで生徒は誰ひとり持っているものはありませんでした。
 カラカサは油を塗った丈夫な和紙と竹でできたものでしたのが、棒で突いたりすると穴が空いたり、風にも弱く雨風の日は風にあおられて傷まないように気をつけました。
 また、トウヨ合羽は、和紙に渋柿の渋を塗って乾かし、その上にアブラギリの種子からとった油を塗ったもので作ったマントでした。ですからトウヨも棒など突けば穴が空いてしまうので喧嘩をして穴を開けられる生徒もいました。ゴム製のマントは丈夫だったのですが高価であったため持っている生徒はほんのわずかでした。
 冬季になると、学校に近い生徒はミノボウシやワラボウシをかぶって通学しましたが遠い生徒は古いマントや二重回し(和服用の男の外套)をほぐして作り直した自家製のマントなどを着て通う生徒が多くいました。新品を買ってもらうことはほとんどない時代でした。


    文−田辺雄司 (石黒在住)