昔の普段着と山着物
                           
 昭和の初め頃は、春秋にはアワセ(袷)、夏にはヒトエ(単衣)、そして冬にはノノコ(綿入れ)を着ている人が少なくありませんでした。
 ノノコには袖のあるものと袖のないツッポ袖とがありました。冬でも、ほとんどの人はメリヤスシャツにメリヤスモモヒキでしたが、中にはノノコを着て下着はフンドシだけという人もいたものでした。
アワセの山着物
 子ども達も、やはり同じようにシャツにノノコとパンツだけでワラグツを履いてスキーに乗っていたものでした。スキーをするときには尻まくりをして乗っている子どももいましたが寒いのでじっとしていることが出来ないので、すべり下りては、すぐまた、坂を登ってすべり下りることを繰り返して体を温めていました。
 大人達は、藁仕事をするときには腰までの短いヤマノノコと山モモヒキでした。雪堀りの時にもこの衣装でしていました。天気のよい日など暖かいので、片肌脱いで雪堀り作業に精を出したものでした。
 また、男衆の多くは腰帯にズンギリ(タバコ入れ)を差していて、一休みの時には、刻みたばこを丸めてキセルに詰めてうまそうに吸っていました。吸い殻を平手の中に吹き出して熱くないように転がして、次の一服の火だねとしました。子どもの頃にその様子を見ていて熱くないのかと不思議に思ったものです。
 春になると、春木(山の斜面の低木を燃料にするため切り出す仕事)の時はアワセとモモヒキにネジリハチマキで仕事をする人がほとんどで、いかにも春らしい軽快な身支度となりました。春木にはナタやノコギリと昼飯の弁当を背負っていって一日中汗を流して働いていました。
 女衆は腰巻きを下半身につけその上にモモヒキをはいて作業をしました。女衆の主な仕事は切った木を適当な長さにして「ねじり木」と言って、粘りのある木で2ヶ所束ねて積んでおく仕事でした。→
ねじり木の動画資料
 また、切った木で枝振りのよい木はユウガオやキュウリのシバ(支柱)するため、雪の上をズルズルと引きずって畑の近くまで運んでおくのでした。
 家に帰ると家の下方(シタカタ−座敷の入り口近く)に2本の縄で棒をつるしておいて、山着物などを掛けておいたものでした。
 夜はシャツ一枚で寝ましたが、夏になるとノミや蚊に喰われたものでした。蚊は蚊帳をはって寝るのでしたが、時には生の杉の葉をいぶして追い払うということもしました。
 洗濯は当時は棒石けんという長い石けんを買ってきて洗濯板と洗濯タライを使ってしていました。しかし、山シャツやモモヒキはタネ(家の脇の池)でジャブジャブと洗って乾かすだけでした。池の水が少ないときには近くの川に行って洗ったものでした。中には午前中汗をかいて汚れた着物をそのまま干して午後から着ていることもあり、背中に白く塩が浮き出ている姿も時々見かけたものです。
 中には、雪消えの頃から秋まで山着物ばかりでモモヒキなどはかないという人もいました。すねを出していても蚊やアブもその人の足の皮膚が硬いために針が刺さらないのだろうなどと言われていましたが習慣とはいえ驚くべきことに思いました。

     文-田辺雄司