ススハキと大掃除の思いで

終戦後までは石黒は月遅れの正月であった。したがってススハキや大掃除は1月下旬に行った。
 私たち兄弟はススハキの日には本家の家へ宿かりに行った。母親がその日のお弁当を本家に届けておいてくれたので、私たちはお昼になると分校から本家に帰って食べた。
 その日の夕方、家に帰ると頬かぶりをした父が座敷に落ちたススをほうきで集めてカマスにつめていた。このススは春に畑の中に入れたが、主にナス畑に使ったように思う。私は今も僅かなススだがナスの肥料に使っている。
 それから、私たちも手伝わされて、板の間を何度も雑巾がけをしてススの汚れを落とした。ようやく暗くなる頃になって母親が囲炉裏の火をたきつけ手足を温めることができた。家が大きかったのでススキハキは二日にわたって行われた。翌日は学校に弁当を持参することにした。先生は、「お前たちも早く帰って手伝えや」と言いながらもストーブに薪を惜しげもなく入れて教室を暖めてくれた。
 翌日からはシッチョウ鍋に水をたっぷり入れて囲炉裏にかけて沸かしてそのお湯を使って雑巾で拭いた。漆塗りの柱や帯戸を拭いて「泡が出るうちは、まだススが落ちない証拠」といわれ同じところを3回も4回も拭いたものであった。その後も親たちは暇を見ては3日も4日もかけて雑巾がけをした。
 それから、神棚の掃除をして皇大神宮の御札を納めたり、仏壇の佛器を磨くのも年の暮れの大切な仕事であった。

 また、年の暮れの大掃除で忘れなれない楽しみは、座敷やディー〔客間〕の畳の下から毎年、10銭か15銭のお金が落ちているのを見つけることだった。弟と2人で探し当てたときのうれしさを今でも忘れられない。

 文-田辺雄司 (石黒在住)