板畑・庚申講についての考察
 板畑の「オカネ様」は庚申講である。庚申信仰のは道教の「三尺の説」から発した信仰で60日に1度の庚申の日を祭日としている。「オカネ様」も以前は庚申の日毎に行われていた。しかし、その参加者が各家の家長であり、現在は彼らが冬の間、長期間出稼ぎで村を離れているために、夏の間だけ年に3度行われるだけである。
 さて、板畑の庚申講はいくつかの組に分かれて行われている。組の編成は現在では最寄(板畑集落の村の区分け)を単位に分かれて、別に重立の組を合わせた変則的な組み合わせが行われているが、元来は重立は一般の家と別個に講を組んでいたものと思われる。
 講を組むにあたって、このような家格の差を明確に反映している点は、この講が各家の家長によって構成されていることに少なからぬ影響を受けていると言えよう。講においては特別な指揮者はなく、講員は一応対等な関係で講に参加している。だから以前、重立と一般の家の格の差が強く意識されていたときには、両者が一緒に講を組むことは出来なかったものと考えられる。現在これらがともに講を組むようになったのは、こうした家格意識が薄くなってきたことの現れと言えよう。
 現在の講は信仰面よりも、家長達が集まることによって彼らの連帯や親睦を深めることにより大きな意味を持っているようである。

(法政大学紀行研究会 高柳町調査研究報告1975より抜粋)