年始客の思い出 当時(昭和のはじめ)の居谷では、元旦に村の重立衆がそろって各家を年始に回った。真新しい綿入れに羽織りを着て、雪が降らない穏やかな元旦には羽織袴姿であったように記憶する。しかし、この年始客への各家での接待はお茶に煮しめや漬け物の茶請けだけで酒は出さないのが通例だった。 翌2日からは私の家の場合は、隣部落から小作の人たちが毎日のように数人やってきた。この日からの年始客には吸い物まで作って接待するのが慣例であった。茶釜で酒をかんをして、祖父は「さあ、飲んでくんなさえ。今年もまた頼むがのう」などと言って酒をすすめる。年始客の方は、「こちらこそ今年もお願いしますいね」などと言いながらおいしそうに酒を飲んでいた。次々と年始客がくるので囲炉裏端は朝から夕方までにぎわった。 母と祖母はお客のお膳作りや洗い物で休む暇もなかった。 祖父は正月用の酒は毎年松代の酒屋から樽で買っておいて年始客に振る舞った。年始客は「やっぱり買い酒はんめのう」などと言いながら顔を真っ赤にして飲んでいた。昼になるとお客には手打ちソバの昼飯まで出した。
年始客は三が日を過ぎると減ったが11日正月までぽつりぼつりとやってくる。11日正月を過ぎて、ようやく母と祖母は年始客から解放されるのだった。(しかし、小正月がすぐなので休む間もなく納豆づくりなど小正月のご馳走の準備に取りかかるのであった。) 父は雪の具合を見て2里も離れた中後の親類に泊まりがけで年始に出かけた。思わぬ大雪に出会い数日泊まって帰ることもあった。 父は中後の年始に行くと毎年菱形のお供え餅を2枚もらって帰ったものだ。 一辺が20pほどもある特大のお供え餅であった。家中でそれを割って焼いて食べたことを今でも憶えている。 田辺雄司 (石黒在住) |