共用カヤバのカヤ刈り
                          田辺雄司
 毎年11月になると、共用カヤ場のカヤ刈りをしました。その時季になると、天気のよい朝など霜が降りて山一面が白っぽく見えるほどで、カヤの葉は凍ってカリカリになっています。日が当たるようになると次第に霜が解けて雨にぬれた様になります。乾くのを待っていますと終わりが夕方遅くなるので、まだ霜で真っ白なカヤを左手で押さえて折る様にしたところを鎌でかるのでした。カヤは地面すれすれの茎の位置を刈り取るのでした。

 この季節になると足が冷たいので草鞋を履いたり地下足袋の穴だらけのものを履いて、ほとんど午前中に予定の場所〔カヤをもらった家の人の分〕は刈り終わりました。
 昼になるとカヤを貰った家の人がテゴに各人の丸ワッパ、横メンツなどにつめたご飯やおかず担いでみそ汁を入れた手桶を下げて、女衆4、5人で運んできました。
 そして、カヤ場の平らなところでお昼を食べるのでした。よく食べる人はワッパに詰めたご飯では足らずもう一度ワッパにご飯を入れてもらって食べるのでした。
 晩秋の穏やかな日和に青空のもとで食べる新米のご飯は、どんな料理にも負けないほど美味しかったものでした。昼ご飯が終わりますと、それぞれが1時間ほど横になりゆっくりと休みました。
 午後は、まず刈り取ったカヤを、カヤマルを作る場所に集める作業でした。カヤは背に担いで運びました。カヤマルは作り慣れた人が4、5人でてきぱきと作業を進め、一場所〔西側・東側〕でカヤマルが5つくらい出来た物です。
 夕方は居谷で一番高い山なので、夕日が西の山の端に落ちていく様はどこの場所よりもここで眺めるのが美しい場所でした。
 翌日も天気が良ければ引き続き残りの一軒がもらう場所のカヤ刈りでした。
 だが、カヤ刈りはいつも穏やかな天気に恵まれるわけではなく、とくに天気予報もない時代でしたから、10時頃までは雲ひとつない晴天に突如として雲が広がり木枯らしが吹きすさぶ荒天に変わることもしばしば経験しました。こうした日は途中でやめるわけにもいかず嵐の中で作業を続けるのでしたが、ミノと笠だけでは全身がほとんどずぶぬれの状態でした。仕方がないので、全員がいったん家に戻り着替えてきてから午後の作業をするのでした。
 こうした木枯らしは、初雪の前触れでもあり作業を明日に延ばす訳にはいかないのでした。みんなが午後は冷たい嵐と戦いながら茅を運ぶ人、カヤマルを作る人とが必死にやったものです。雪となれば作業はなおいっそう大変であることがわかりますから・・・・。
 そんな日は作業が終わって帰る頃には雨がみぞれに変わり夜には多いときには一尺ほどの初雪が降ったものでした。